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     登山と旅の記録


「中央アルプス 一人縦走の山旅・・・木曽駒ヶ岳―空木岳」

 嫁の出産が間近で、就職も決まっていないというのにお盆休みを利用して山登りに行った。私はもう24歳になろうという大人なので旅という行為には日常をリフレッシュする作用しかないということを知っている。高校時代から節目節目には旅立っていた。人恋しくなったり、言葉にしづらい何かを求めたりしては、幾度と無く旅立ったが、その度に帰ったらもう少し頑張ってみようというお決まりの結論に至った。「山から帰ったら子供も産まれるだろうから、今回だけ一人で行かせて」と反対気味の嫁を押し切って旅に出た。日常で頑張るという旅から得るお決まりの結論にもう一度すがってみようと思ったためである。

 中央アルプスにしたことには特別な理由は無い。あるとすれば比較的麓から近く、無料の非難小屋があるので予算を押さえることが出来ると考えたためだ。当初は友人と北アルプス後立山連邦の鹿島槍が岳、五竜岳を縦走する予定だったが、友人との日程が合わなくなり、一人で行くにはしんどそうだから比較的楽そうな中央アルプスに決めた。この甘い認識が完全に裏目に出る結果となった・・・。




 アプローチ
  8月13日
   京都 − 名古屋 − 多治見 − 木曽福島

 木曽福島までの移動は24歳になろうというのに「青春18切符」を利用した。さすがに最近はこの切符の購入が恥ずかしい年になってきた。前日にバイトで愛媛県伊予市に行っており、同じく18切符を利用して夜行で京都に帰り、そのまま各駅停車で木曽福島まで行くというハードスケジュールとなった。
 今日中に木曽福島まで到着する予定だったが、出発が遅くタッチの差で木曽福島まで行く各駅停車には間に合わなかったので、多治見―木曽福島間だけ急行「ちくま」を利用することになった。多治見市というなんの変哲も無い地方都市で三時間半も待ち時間が出来たのでキヨスクのオバちゃんに教えてもらった近くの健康センター(天の川温泉)のようなところへお風呂を入りに行った。そこで閉館まで2時間くらい時間を潰す。駅前のロータリーのようなところには人が結構いたので、「ナンパ」という安易な発想が浮かんだが、1時間後には電車に乗ることを考えてやめることにした。
 急行「ちくま」に乗り込むと木曽福島までは一駅である。早朝のバスで登山口へという予定だったが思わぬ失態をやらかす。多治見―木曽福島間は2時間程度なのだが、木曽福島到着直前になって寝入ってしまい、木曽福島を発車してすぐに目が覚めた。つまり寝過ごしてしまったのだ。仕方ないので次の塩尻まで行き、翌朝木曽福島方面行きの始発を待つことにした。待合室で三時間くらい寝袋を使って熟睡することが出来た。寝過ごしたことにより朝一番のバスに乗り遅れ予定が大幅に狂い、初日の行動開始時間が遅れたが、山を登る前から疲れ切っていたので三時間の熟睡は逆に有難かったとも言える。

 1日目
  8月14日
   木曽福島 − 大原公民館前 − 木曽駒高原スキー場 
                        − 四合目 − 七合目非難小屋跡

 今日は予定では木曽駒頂上付近のサイト地まで行きたいと思っていたが、前日の寝過ごし事件により七合目まで登れれば良いという楽な方へと考えが流れていた。木曽福島からは御岳方面と木曽駒方面とバスが出ているが、大勢いた登山客のほとんどが御岳へ向かう登山客で木曽駒方面に向かう人は私だけであった。登山口の最寄停留所である大原公民館前で下車したのも私だけである。お盆休みの時期という最も混む時期なのに予想外だ。木曽福島方面からの登る「福島Bコース」はあまり利用されていないのか。やはり皆ロープーウェイを利用するのだろうか。公民館付近の公衆トイレの水道で水を汲みスタートする。
 公民館前から高原スキー場までの道のりは別荘街を行くアスファルト道。日差しもかんかん照りで最初からひどく疲れた。スキー場までは2時間近くもかかり、ビッショリ汗をかかされた。このアスファルト歩きは予想以上にきつくて、トレーニング無しの7キロも体重が増えた太い体で縦走は無理なのではないかと懸念された。自分が2,3年前の体力では無いことを痛感させられる。
 高原スキー場からは、アスファルト舗装されていない林道に変る。登山口には「熊出没注意」の立て看板があった。幸ノ川の渡渉地点まで林道は続く。渡渉は大岩を飛び移るが、多少の増量では心配は無い。渡渉が終わると本格的な登山道が始まる。道は良く整備されており迷う心配も無い。ここ最近午後に夕立が連続していたらしいが、登山道はぬかるんでいるところも無かった。四合目(道標アリ)までは地図に記載されたルートタイムよりも早く思いの他さくっと到着することが出来た。四合目を少し登ると力水と名付けられた水場がある。ここでこの山行中初めて他の登山客に出会う。しばし談笑する、私の目標である空木岳よりも先の越百山まで縦走するそうである。しかも私は下山まで5日の予定であるが、私より長いコースを3日で行くそうだ。凄いおじさんもいるものである。
 四合目以降も引き続き樹林帯歩きが続く。この辺りの単調で同じような景色の樹林帯歩きは体調の良い時ならば、非常に心地よい、良質なミニマルテクノを聞くような気持ちになれて、山歩きの一つの醍醐味なのだが、体調最悪で体力の低下した私には心地よい繰り返しとはならずうんざりするだけの苦行となった。先日バイト先で「oval」のCDをかけながら仕事をしていたら、同僚が発狂したが、今回の樹林帯歩きは同じような感じだった。
 もう山男の体では無いことを実感し、帰ったらトレーニングしようなどと考えているとようやく七合目非難小屋跡に到着する。七合目非難小屋は平成11年の焼失したらしく、今は鉄筋の骨組みだけが惨めに残っているだけだ。非難小屋が立っていたところなのでテントを張るスペースもあるだろうと考えていたが、私の二人用テントがかろうじて張れるくらいのスペースしかなかった。七合目に着いた時点で2時を少し過ぎたところだったので頂上まで行こうかとも考えたが、体の方が悲鳴を上げていたので諦めてわずかなスペースにテントを張ってサイトすることにした。※中央アルプス山域は、わずかな指定地を除いてキャンプ禁止です。今回は止むを得ないとして勘弁して下さい・・・
 テントに入って汗のあまりの臭さに驚いた。ものすごい量の汗をかいたが、今回の汗の匂いはいつもと違っていた。これはデブの匂いなのだと実感した。帰ったら痩せようとつくづく思った。昔サークル時代には気持ち程度のトレーニングをしてから山行に出発していたが、今にして思えばあのトレーニングは臭い汗を搾り出すことに意義があったのかもしれない。今日の夕食は豚汁でした。 
 ※ 七合目付近には水場があるようですが、道標などは無く自力で探す必要があります。

 二日目
  8月15日
   七合目非難小屋 − 八合目山姥 − 玉ノ窪小屋 − 頂上山荘サイト地

 昨日は体が思うように動いてくれなくて、最初からかなりしんどい思いをしたが、今日は昨日より数段体が軽くなっており昨日が嘘のように順調に進んだ。
九合目までのルートは、結構な急登でピークの全貌が見えているのになかなか辿り着かないコースで気を揉むが、目標が間近に見えている分頑張りやすい。
 九合目にあたる玉ノ窪小屋まで着くと一気に視界が開け、今まで見えなかった御岳が姿を表す。南側の空木岳方面も見渡すことが出来る。そして登ってきた福島Bコースではほとんどいなかった登山客が急に増える。木曽駒ヶ岳頂上までは後30分ほど。
 最後の登りをダラダラ行くと2958メートルの木曽駒ヶ岳の頂上に着く。360度見渡せる絶好の展望地であるが、この日の展望は早くもガスが上昇しており今一つ遠望が利かなかった。穂高,槍、乗鞍岳はかすかに見通せたが、南アルプス方面は雲に覆われておりその姿を見ることは出来なかった。今までの孤独な登りが嘘のように頂上にはたくさんの人がいた。中には登山靴では無く、スニーカーやジーンズ姿の軽装の人もいた。ほとんどの人がロープーウェイを利用して来ている。驚いたことには1歳くらいの赤ん坊までも父親に背負われて来ていた。普段ならば山に似つかわしくない人を目の当たりにすると機嫌が悪くなるのだが、もうすぐ産まれてくる子供を思うとロープーウェイ登山も悪くないと思った。木曽駒ヶ岳なら子供が小さいうちでも十分に登ることが出来るだろう(ロープーウェイの駅からは2時間程度の登り)。私は麓から7,8時間かけて登って来たわけだから感動もひとしおかとも思えたが、ピークでコーヒーを飲んだり梨を食べたりしている人が羨ましくて、そのことばかり考えて然程感動しなかった。コーヒーくらい持ってくるべきであった。今日はここから20分ほど下った頂上山荘のサイト地にサイトする予定なのでこの日の行程はほぼ終了である。 
 サイト地は30張りくらいテントを建てることが出来る。サイト料は一張り600円。サイト地に着いたのは8時くらいでこの先を進むことは十分に可能だったが翌朝の御来光を木曽駒ヶ岳山頂から見たいと考えたので今日はここにサイトする。
 早くサイト地に着いたので普段は食べないお昼を食べることにする(山行中はお昼の代わりに行動食と呼んでいるお菓子を食べている)。パスタを茹でていると隣にテントを建てていた家族連れに声を掛けられ仲良くなり、コーヒー豆をウイスキーで漬けたコーヒー酒をご馳走になった。これがアルコールは相当高めなのにとても飲みやすい美味しい飲み物で(カルーアに似ている)、向うも勧めてくるので相当飲んで昼から酔っ払った。もうすぐ子供が産まれると言うと家族で登る登山の魅力について盛り上がった。ご主人は若い頃はロッククライミングまでしていた相当な本格派だったらしいがロープーウェイに慣れると下から登る気が無くなってくるそうだ。私も近い未来楽な登山に流れてしまうような気がする。子供が大きくなって家族で山に登る日が来るのが待ち遠しい。アプローチ初日から感じていたが、私はもう一人旅というものにあまり魅力を感じなくなっている。酔っ払ったので夕方まで寝た。寝ている間に1時間くらい激しい夕立があった。雨が上がると滑川方面の谷を見下ろせる所まで散歩をして、谷を眺めながら煙草を吸い子供が産まれてからの事を考えてみた。今日の夕食はポトフ。

 三日目
  8月16日

   頂上山荘サイト地 − 宝剣岳 − 濁沢大峰 − 檜尾岳 − 檜尾非難小屋

         
 4時に起床。朝食は夕食のポトフの残り。朝食を済ますと早急にテントを畳み、出発の準備を終えてから再び昨日登った木曽駒ヶ岳に登り御来光を見に行く。頂上付近には山小屋が多く、木曽駒ヶ岳には御来光目当ての登山客が早くも大勢いて、御来光を写真に収めるべく三脚が立ち並んでいた。カメラ小僧ならぬカメラ親父が群れを成していた。木曽駒ヶ岳の山頂には山小屋が経営している売店があるのだが、5時だというのにもう営業していて、ホットコーヒーの販売もあり買うか迷ったが止めておいた。
 5時を過ぎた頃から徐々に辺りは明るくなり5時10分を過ぎた頃から御来光が始まった。御来光というのは何回見ても感動する。それは江戸川の土手から見ても、こんなに大勢の人に囲まれている状況でもそれは同じだ。太陽というのはすごいものだ。日陰者の私でもその偉大さには敬服する他ない、大きな力を感じた。この日の展望は申し分ない。中でも御来光に照らされた雲海に浮かぶ御岳は神秘的だった。これだけの絶景を目の当たりにしたらどんなリアリストもロマンティストにならざるを得ないだろう。サイト地に戻り、ウイスキーを頂いた家族にお礼を言い出発する。
 今日からはいよいよ中央アルプスの縦走路のメインルートである。宝剣山荘を過ぎた辺りから中央アルプスの最難路とされる宝剣への岩場登りである。危ない危ないと呼ばれているが実際に危険な所であった。特にでかいザックでフル装備縦走をしている人は要注意。ザックの下のほうが岩場にぶつからないように注意が必要です。雨が降っているときや風が強い日は無理をせずに遠回りだが千畳敷を経由していった方が良いと思う。スリリングな岩場の連続なのだが、千畳敷側のロープーウェイが見えており、そこの放送がこちらまで鳴り響いているところが興ざめである。こちらは冷や冷やしながら進んでいるところに観光地とも言える光景が展開している訳だから凄まじいコントラストだ。危険地域でもカメラ親父たちは三脚を片手にガンガン進む、ザックがでかいとは言え、若い私のほうが老人の如く慎重だった。
 
極楽平以降は危険な所はほとんど無い。細く見えた稜線も結構な幅があり、歩くのに難渋することは無かった。ルートは歩きやすいが結構アップダウンが激しく体力を消耗させられた。今日も行程時間が4時間程度と少なかったので随分とだらだらしてしまった。20分歩いては20分休むという超スローペース。サイト地を出発したのはかなり早い方だったが、次々と抜かされていった。ほとんどの登山客が木曽殿越か空木岳まで1日で行くようで、若いのに根性無いと思われたようである。昨日は曇って見えなかった南アルプスが良く見えていて、富士山も顔を覗かせた。夏にこれだけ展望が利く日も少ないだろう、じっくりと景色を楽しみつつゆっくりと山歩きを楽しむことが出来た。途中便意を催し、野糞をする場所を探すのに手間取った時はかなり困った。稜線歩きのときは出発前にきちんと済ませておきたいものである。登山客はまばらだが、懐かしのスーパーマリオのクッパが放つ火炎のように一定間隔で登山客がやってくるのでその合間を縫って済ませるのに一苦労だった。
 濁沢岳の辺りから今日の宿である檜尾岳非難小屋が見える。地図で見ると濁沢岳から檜尾岳までピークは無いのだが小屋のある地点の前にもう一つピークが見える。これはいわゆる擬似ピークというやつで遠くから見るとピークと手前のピークの間に相当な距離があるように見えたが実際には然程の距離が無い。檜尾岳までのルートはピークに着きそうで着かない嫌らしいものだった。休み休み登ったので随分と時間がかかり、余計に疲れた。やはり一定のペースを守ってキビキビと歩いた方が疲れは少ない。檜尾岳のピークから非難小屋までは15分程度。
 非難小屋に到着したのは私が1番最初だったが、次々と登山者がやってきて20人収容の非難小屋は満員になった。それでもテントを持たない登山者がやって来るとテントを持っている人が小屋を出て譲る光景などがあった。私もテント持っているわけだから譲るべきなのだが、1番最初に来たのだから良いだろうと思い譲ることは無かった。テントを持ちながら譲らなかった私が言うのもなんだが、この日小屋に泊まっていた京都府立大のワンゲルの連中はワンゲルなのならば小屋を譲るべきだと思う、合宿という名目で来ているわけだろうし。
この日の夕食はインスタントのたき込みご飯。小屋の外でご飯を炊いていたら茶色の野生のウサギが出没した。遠くに猿の群れも確認できた。この日の深夜にしし座流星群が見られるという情報もあったが、この所夜はガスが発生する日が続いていたので夜に起きることなくぐっすり寝た。
 ※ 水場は10分くらい下った所にありました。ちょろちょろと僅かに流れているのを貯めて使いました。

 四日目
  8月17日
   檜尾岳非難小屋 − 熊沢岳 − 東川岳 − 木曽殿越⇔空木岳 − 見晴場 
  − 仙人の泉 − 六合目北沢 − ウサギ平 − 四合目 −伊奈川本谷非難小屋
         
         

 今日は起床時間も遅く、夕食も残らなかったので朝食は無し。非難小屋で一晩を共にした方達と下山後の温泉の話などをして出発する。今日も晴れ上がり展望も申し分無かった。檜尾岳ピークからは、南アルプス越しに富士山が見える絶景が広がっていて、今山行中でもベストと思える展望だった。
 熊沢岳までのルートも今まで歩いたルートのように楽そうに見えて結構アップダウンがある。熊沢岳ピークの辺りはちょうど雲の通り抜けになっているようでかなり風がきつくTシャツだけでは肌寒く感じられた。ピークの岩場の隙間に空き缶などが大量に捨てられており不可解な気持ちにさせられた。これだけの絶景を前にしてゴミを捨てると言う行為を理解する事は難しい。
 熊沢岳を超えるといよいよ空木岳が間近に迫りその全貌が明らかになる。左手には時より駒ヶ根の街を見下ろせる。中央アルプスは3000メートル近い山が連なる高度感のある山脈であるが、横の幅は狭く感じられスケールと言う点では物足りなく感じられる。山を登り始めた頃は麓の街を見下ろすのが好きだったが、今では山から人工物を見たいとはあまり思わなくなった。
 池ノ平カールを過ぎ、小ピークを越えしばらく進むと東川岳である。ピークにいた中日ドラゴンズの帽子を被ったおじさんが言うには東川岳はちょうど標高が日本で100番目に高い山だそうだ。
ここまで来ると空木岳はもう目の前に聳えている。筋骨隆々で鉄の塊が天に向かって伸びているような様は迫力満点である。丸みを帯びた優しい表情を見せる木曽駒ヶ岳とは対照的だ。
 今日も昨日同様にダラダラ歩いて来たのでルートタイムより大幅に遅れてここまで着いた。当初の予定では空木岳を駒ヶ根方面に少し下った地点にある空木非難小屋にサイトする予定だったが、今日まで連日好天で十分に中央アルプスを堪能したと思い急激に下山したくなる。倉本方面に降りればルートタイム通りなら午後7時くらいまでには下山できる。急峻な空木岳の最後の直登をでかいザックで登ることがきつそうだし、駒ヶ根に降りると帰りにひどく時間のかかるJR飯田線を使わなければならないという理由から空木岳を登ってから木曽殿越から倉本に今日中に降りることにした。出産間近の嫁の元へ一日も早く帰らねばと思ってもいないことを自分に思いこませ、今日中に帰ることを決意する。この楽な方へと流れた判断が大間違いだったことを後に嫌と言う程思い知らされる事になる。
 木曽殿越にでかザックを置き、お菓子袋に水だけを入れて空木岳を目指す。空木岳への直登ルートは体力的にも精神的にも相当きつい。一時間程度登るとピークに出たかと思うが実はそれは第一ピークと名付けられた擬似ピークであり空木岳の真のピークでは無い。このような擬似ピークが3つもあり、空木岳の真のピークに辿り着くまでには結局2時間近くの時間を要した。今回の山行最大の目標だった空木岳のピークは最後の直登のきつさもあいまって感動的な気持ちにさせられた。今まで歩いてきた道程が一望に見渡せる。南側には、南駒ヶ岳や越百山(こすもさんと読む)が姿を現す。中央アルプスの更に南側にとても興味をそそられた。
 ピークには3人ほどの人がいるだけだった。その中の一人のおじさんと談笑していると彼がザックから酒を取りだし勧めてきた。水で薄めた焼酎と言っていたが相当アルコールの高いお酒だったが、空木岳登破を祝いたくもあったのでおじさんに随分付合ってしまった。
これから下山しなければならないというのに顔が赤くなるほど飲んでしまう。
人から酒を勧められると断れない性格だから仕方ない。おじさんは相当飲んだにも関わらずさくさくと南駒が岳方面へ向けて出発した。私はもう一度木曽殿越に向けて登ってきた急登を下る。お酒が入っているので、慎重に慎重に降りた。
 木曽殿に着いた時点で午後の1時を少し回ったくらいである。倉本まではコースタイムで5時間程度なので、休憩を入れても7時までには降りることが出来るはずだ。予定通り今日中に下山する。
 六合目の北沢六合目釣り橋までの道程で早くも地獄を見ることになる。地図には1時間40分と記されたコースを3時間くらいかかってしまう。思えば私は下りが苦手であった。おまけに靴下を重ねてなかったので足が痛くて痛くて仕方ない。やはり下りは靴下二重の鉄則をきちんと守る必要がある。コース中には道標もあるのだが、新しい道標と古い道標があり、それぞれ次の目標地点までの時間表記が異なる。30分くらい違う。
新しい道標の方が表記時間は長いのだが古い方を信じたくなってしまう。実際には新しい表記よりもさらにもっと時間がかかった。いずれにせよ私が持参していたエアリアマップのコースタイムは全然当てにならない。どう見てもこのコースはほとんど歩かれていない。コースタイムも長年訂正されていないのだろう。昔の人はマップ通りのコースタイムで下ったのだろうか。たいしたものである。
 六合目に到着した頃にはすで日が落ち始めている。ここでちょうど半分下ったくらいである。今日中に下ることは難しい状況になった。あと1時間くらい下った地点に伊奈川本谷非難小屋というのがあるので今日はそこまで行く事を目標にした。沢の冷たい水で顔を洗い引き締めて出発する。
 この先は今までの山登り人生で最も体力的にきつい下りとなってしまう。完全に樹林帯で植生もスギやブナなどが大半を占める。視界に入る景色がずっと同じに感じる、変化が少ない。思考力も大分低下してくる。
降りたら何を食べようかとか、喫茶店に行こうとか俗な事を考えるもどうにも気持ちが奮わない。Hな事を考えてもイメージが浮かばないかなり危機的な状況に追い込まれしまう。ビバークするにもテントを建てられるような平らな場所など樹林帯にあるわけも無かった。ちょっと前までの素晴らしい展望を全部忘れてしまうくらいいつまで歩いても一向に先の見えない下りが延々と続いた。
 日頃の行いや嫁への言動を神様に懺悔し始める頃にようやく林道との合流地点であるうさぎ平に出る。日もすっかり暮れて暗くなり始める頃であった。ここから伊奈川本谷非難小屋までは林道歩きなので一安心。これ以上歩けなくなってもテントを張ることが出来る場所は幾らでもある。残ったお菓子を全部食べて気をもう一度引き締める。伊奈川本谷非難小屋には女子大のパーティがいるはずだと自分に言い聞かせ、もう一頑張りする。40分程度歩くとようやく非難小屋に到着するが、女子大生などいるわけも無い、ボロボロに荒廃した、妖怪か首吊り死体でもありそうな掘建て小屋が姿を現した。
ちゃんと伊奈川本谷非難小屋と記されている・・・。どんな所でも寝られるがさすがに気味が悪くて引き帰そうかと考えた。しかし引き返す元気も無いので小屋の中にテントを張って一晩を過ごす事にした。
 あまりに恐ろしいのでラジオなど付けて気を紛らせた。晩飯は最後に残していた真空パックのカルビ焼肉を焼いて食べた。今回の山行でこれを焼いて食べることを楽しみにしていたがはっきり言って臭くてまずい、二度と買うことは無いだろう。疲れ過ぎて中々寝つけないのでラジオを遅くまで聞いていた。

 五日目
  8月17日
   伊奈川本谷非難小屋 − 中八丁峠 − 二合目 − 倉本

 今日は9時くらいまで寝ていた。昨日頑張って歩いたおかげで今日の行程はわずかである。中八丁峠までわずかな登りがあるが後はひたすら樹林帯の下りである。昨日の恐ろしい下りの印象が強過ぎてアプローチで寝過ごした事や木曽駒のピークの人だかりは記憶の彼方に追いやられていた。
 今日は順調に下れるだろうと思ったが、ルートと林道が合流する地点に思わぬ立て看板を発見する。
 「この先悪路の為登山者の通行を禁止する。林道を使用する事」
林道を使えば下ることをも出来るのだが、正規の登山道よりもぐるぐると迂回しており直下の登山道よりも4倍くらい時間を要してしまうのである。このルートがほとんど使用されていない理由がようやく解かった。危険を顧みず通行禁止の登山道を進むことも考えたが体の方も元気だったのでテクテクとアスファルト舗装された道をあるいた。初日にアスファルト歩きと同様消耗は激しいが、車の音が聞こえていて下界が近いことを知ると腐らずに歩く事が出来た。


 五日に及んだ中央アルプス縦走の旅も終わりに近づいている。京都に帰ったら私は父親になる。今までの自分とは決定的に違う。父親としての十分な自覚なんて無い。山旅も終わる、夏も終わる。父親になる。5日間の行程も今となっては幻のようだ。何故旅に出たかという訳ももう忘れた。結局何しに来たのだろう。
 JR倉本駅に到着するが近くには喫茶店はおろかジュースの自販機すら無くて無事に下山したことを祝うことも出来なかった。ZUKA(嫁)に無事下山した事を電話で報告して山行は終了となる。

 感想

 中央アルプスというと軟弱なイメージを持っていてなめていたのが大間違いだった。山脈自体のスケール感に欠けるが高度感を味わえる山だと思う。間近に見えた御岳を見るには一番良い山だと思う。ロープーウェイがあるので家族で最初に登山に行くならば木曽駒にしようと思う。
 下りのコース選択は大失敗だった。無闇にコースを変更するのは止めた方が良いと思う。好天が続いて良い思い出が出来ました。


「新婚旅行第1弾・・・関西随一の秘湯上湯温泉」

 私は結婚したいと思ったことは無かったがもしも結婚したならば、新婚旅行はポルトガルかアイルランドにしたいと決めていた。アイルランドは長らく私を惹きつけてきた青春そのものとも言える国であり、ポルトガルはその熟成した国家のあり方やそこに暮らす人々が魅力的に思えるからだった。一生の伴侶と決めた人と似つかわしい配置で立ち並ぶリスボンの街並みを歩き、ポルトガルが歩んだ海洋への旅立ちによる栄華と衰退の一途を辿った歴史の果てに見えるものを感じたいと考えていたためだ。
 しかし結婚は妊娠という形によって実現したので、正式に籍を入れたとき嫁(ZUKA)は妊娠6ヶ月という身重であった。当然海外旅行などに出られる訳も無い。お金も貯めていなかったので、新婚旅行は1度だけでは無く、今回は第一弾という事にしていつかはアイルランドやポルトガルに新婚旅行で行くことにして近場の奈良県十津川村の上湯温泉に2泊3日で行くことにした。
 成田離婚などという言葉が近年聞かれるようになったが、私達の新婚旅行も私のわがままによって波瀾に満ちたものとなり、2弾,3弾の新婚旅行が実現するか微妙な状況となる。

 1日目・・・6月17日

 京都 ー 大和八木 − 谷背のつり橋 ー 湯泉地温泉近くのキャンプ場
   
(近鉄特急)   (奈良交通特急バス)

 前日の16日に我家で飲み会があったので明け方近くまで飲んだ後に出発することになる。大和八木までは滅多に使うことが無い近鉄特急を利用して少しでも豪華な旅にすることにした。八木から十津川村まではバスで3時間近くもかかる。奈良県は大阪,京都から近い位置にあるが十津川は交通の便が悪く、我家からは5時間くらいかかる。ハワイに行くより不便かもしれない。十津川村は日本で一番面積の大きい村として知られ、古くは明治維新の頃に活躍した十津川郷士の郷としても知られている。関西で最も標高の高い山脈大峰山脈を有する村であるので当然山奥で、道路も悪い。寝不足に二日酔い気味という車酔いする条件を全て揃えていたので三時間近くのバス旅ですっかり酔ってしまう、もう少しで吐きそうになるくらいに車酔いした。
 バスは途中十津川のメイン観光地である「谷背のつり橋」で休憩のために停車してくれる。2年前にも同じバスに乗り谷背のつり橋に寄ったが、その時は日曜日ということもあり橋に行列が出来ており、休憩中に実際に渡ることは出来なかったが、今回は平日だったので観光客は疎らだった。つり橋では橋を揺らしたりZUKAの背中を押したりするお約束の嫌がらせなどをする。泣きそうな顔をして派手に怖がってくれるので私としても嫌がらせのしがいがあった。
 バスはさらに十津川の中心地(と言っても田舎)に向かって更に進む。ますます山深いところをバスは進み、私は更に気分が悪くなった。ようやく目的地の十津川村役場に着いた時は顔面蒼白でフラフラになっていた。
 新婚旅行初日だというのに今日はキャンプ場でテント泊である。ここまでは2年前に大学のサークルで来た時と同じコースである。ここのキャンプ場は十津川の河原でトイレも炊事場も完備しているので気に入っていた。歩いて5分程度の所に温泉もある。ZUKAは妊娠6ヶ月で安静にしていなければならないが、ZUKAの両親には旅館に泊まると嘘をついた。 お金を浮かせたいというのもあったがテントの方が私らしいと考えた。早速テントを建てる、今日はお昼も夜も自炊でまかなう予定だったが、私が包丁を忘れ、八宝菜を作るために買った八宝菜の元(味の素)を間違えて酢豚の元を買っていたので一気に自炊する気が無くなる。

※ これは泉湯です!
仕方ないので近所にある「道の駅 十津川郷」にそばを食べに行く。そばにはうるさい私も納得できるそこそこ美味しいそばだった。そばは新そばが収穫される秋から冬にかけてしかザルでは食べたいとは思わない。私は暖かい山菜そばを食べた。そばについてうるさくうん蓄を垂れたりした。「道の駅」でキャンプ場最寄の湯泉地温泉以外にも温泉「滝の湯」があることを知りそこに入りに行くことにした。「滝の湯」は内湯と露天風呂がある、休憩場もあって結構お勧めです。昨日の疲れが残っていたので二人して休憩場で2時間くらい熟睡した。
 帰りにお店でカップラーメンを買い何とも寂しい新婚旅行初日の夕食とする。夜は焚き火をして、家にあった古い花火などをした。当然キャンプ場には私達二人だけだった。山里の夜は静かかと思いきや近くの家の子供がピアノ練習をしておりたどたどしいピアノ練習が十津川の里に響き渡っていた。ZUKAに見せてあげたかった満天の星空は雲が出ていて見ることが出来なかったのは残念。

二日目・・・6月17日

 キャンプ場 ー 十津川温泉 ー 上湯温泉

 翌日はカラスの気味の悪い鳴き声によって目が覚める。朝から物凄い日差しだったので6月だと言うのにトランクスで川に入り入り泳いだ。
淵の深い部分に岩魚の群れなどがいて驚いた。水は言うまでも無くきれいで思ったよりも冷たくなかった。ZUKAも靴下を脱いで中州までやってきた、前回の房総の旅編といい妊婦らしからぬ危険なことばかりしている。
 十津川温泉まではバス移動。今夜の宿上湯温泉「神湯荘」は十津川温泉から6キロの距離に位置する。バスで来た客には宿まで旅館のバス送迎があるのだが、バス送迎は午後3時からなので午前中に十津川温泉に着いた我々は歩いて神湯温泉まで向かうことにした。邪魔になるのでテントの入った大きなザックはバスセンターに置いたままにして上湯温泉に向かう。この安易な発想が翌日の波瀾の展開への原因となることはこのときまだ想像すらしなかった。
 ガイドブックには50分と記されていた上湯温泉への道のりはZUKAが妊娠中という事を差し引いてもとても50分で行ける距離では無かった。途中「谷背の釣り橋」よりも遥かに迫力満点のボロボロの釣り橋を見つける。釣り橋を渡ると対岸に登山道のような道を見つけたのでこの道を歩けばまた元の対岸に行けるはずだと私が主張してその道を進むが20分程歩くと行き止まりになっていて、引き返す羽目になる。
おまけに私はサンダルだったので岩に足をぶつけた時擦り傷が出来て出血するというおまけ付きで時間を大幅にロスし、ZUKAが一気に機嫌を悪くする。元に道に戻りひたすら歩く、体調の戻った私は心地よい歩きだったが、身重のZUKAにはしんどいようだった。途中寄り道したとはいえ、2時間近く歩いても2キロ程度しか歩いていない。
 味わい深い渓谷沿いの道は街では絶対に見ることの出来ない光景を見せてくれた。道は川からはだいぶ高い所を通っていたが、滅多に見ることの出来ない光景を目の当たりにする。鶴のような白い野鳥が川で岩魚を捕まえる所を目撃したのである。最初に大きな岩魚を一発で仕留めるとくちばしの中でもがく岩魚は一飲みに飲み込まれる。少し川の水を飲むと更にもう一匹の岩魚を捕まえる。じっくりと獲物を見極め、一発で岩魚を捕まえた。無駄な動きは一つも無い芸術的とも言える捕獲だった。山歩きを愛し、自然に触れることの多い私も渓流魚を鳥が捕まえる光景には初めて出くわした。食物連鎖そのものの光景に我々はしばし呆気に取られる。
 2時間を過ぎても目的地に着けないので、仕方なくヒッチハイクを試みる。車の通行量自体少ないが1台の犬を乗せたおじさんが乗せて、目的地の上湯温泉まで乗せてくれた。新婚旅行だと言うのにヒッチハイクをすると言うサバイバルなものになってきた。「神湯荘」にチェックインすると早速今回の旅のメインである上湯温泉の河原の露天風呂に向かう。「神湯温泉」の人に河原の露天風呂について聞くもあまり良い返事は貰えなかった。どちらも源泉は同じらしいが、神湯荘側は河原の露天風呂ばかり旅人が有難がるのを良く思っていない節がある。
 さて噂の河原の露天風呂。道路から石の階段を降りた所にあります。立て看板があるので場所は解かると思います。私達が訪れた時には混浴で一つの浴槽しか無い温泉に女湯を作るべく工事をしていて、誰も居ない静かな露天風呂を期待していた私には少し残念。それでも掘建て小屋の覆いがされた半露天風呂ともいうべき露天風呂は怪しさ全開で私好みだった。ZUKAは工事しているおじさん達の目を気にして入らなかった。


脱衣所はあるけど、男女一緒。浴槽と繋がっているので女性は入るのをためらうかもしれません。ただ平日だったら訪れる人もいないので貸切状態になると思います。
 お湯の方はとても熱く、湯の花が浮かぶ本物の温泉という感じです。何でもすぐ近くの源泉は60度近くあるそうで、温泉と一緒に浴槽に入れられている冷たい水と合わせてようやく入れる程の熱いお湯だ。小屋の温泉からは上湯川を眺めることが出来て野趣味たっぷりでこれぞ野天風呂と言える。
温泉は無人で設置されている料金箱に一人300円入れる事になっているのだが、300円をケチって帰ろうとすると工事のおじさんに「300円入れた?」と呼び止められる。私は「入れたよ!」と言って足早に立ち去ろうとするがおじさんが料金箱を確かめると「入ってないぞ!!」とまた呼び止められる、仕方ないので300円を払いに行く。温泉には満足したのに、300円をケチってばつの悪い思いをしてしまった。どこに行ってもせこい男だ。
 神湯荘の露天風呂は貸し切りの混浴風呂ものが2つ、男女別の露天風呂が1ずつに内風呂もある。どれも魅力的だが、河原の野天風呂に比べてしまうと味気ない。最近は若いカップルが貸し切りの露天風呂を求めて、温泉に行くのが流行っているらしく、貸しきり風呂のある温泉はどこも賑わっているようだ。貸切風呂で何をしているかは、想像どおりだろう。夕食前に我々も貸切風呂に入った。
 夕食は前回の旅「房総編」とはうって変わりとても素晴らしいものだった。中でもたけのこ寿司は山でしか食べる事の出来ないもので煙草と酒にまみれた私の体内も洗われるような気持ちの良い美味しさだった。他にも山の幸を中心とした料理は、ご馳走となり得る食材の少ない山里で客をもてなす事を十分に考えた、もてなしの気持ちのあるものと言える。関西に住んでいる方には是非秘湯上湯温泉の「上湯荘」をお勧めしたい。
 夕食を食べ終えてから、もう一度河原の野天風呂に行く。8時を過ぎ辺りは真っ暗でさすがに工事をしていたおじさん達は居なくなっていた。対岸から僅かに光る明かりが見える。旅館から持ち出した懐中電灯の光が反射しているのかと思ったが、その光は蛍の発光だった。良く見ると無数の蛍が移動しながら光を発している。光は線を引くように、河原を渡っている。写真に収める事は出来なかったのが残念だが、蛍の光を初めて見ると言うZUKAはその光の芸術に感激しきりなようで連れて来た甲斐があった。二人で野天風呂に入り、しばし渓流を渡る蛍に見入った。料金箱に300円を入れる事無く野天風呂を後にし、旅館に帰る。

三日目・・・6月18日

 上湯温泉 ー 十津川村役場 ー 新宮

 朝にも温泉に入る。十津川温泉までは旅館の車で送ってもらう。ここで困った事態が発生する。昨日バスの待合室横に置いておいた私の特大ザックが無くなっていたのだった。バス会社の人にザックの事を聞くと警察に連絡して、警察が持っていったとの事。今日の予定は10時過ぎのバスに乗り京都に帰る予定だったが、警察は初日キャンプした十津川村役場近くにあるので、京都に帰る予定のバスに乗り警察署まで行く事になる。
ザックは警察署に保管されていた。川で水害にでも巻き込まれたのは無いかと心配し、ザックを預かったそうだ。バス会社の人に一言言ってから置いておいて欲しいとのことだった。所定の手続きを済ませるとザックは私の元に帰って来た。
 次のバスは12時過ぎまで無いので「道の駅」でお土産物などを見て時間を潰す。バスの予定が狂った辺りから私の放浪癖が顔を出してしまう。ZUKAは翌日から会社勤めが始まるので今日中に帰らなければならないが、私は学校があるだけだったのでこのまま十津川を南下して熊野川を見たい気持ちに駆られていた。何より同じ道を引き返す事が私はとても嫌いなのだ。ZUKAに自分だけ和歌山方面を南下するから、一人で京都に帰って欲しいと言うとZUKAは一気に機嫌が悪くなる。「何で新婚旅行なのに一人で帰らなければならないの!!」と声を荒げる。
私も「企画はここで終了だ。現地解散が俺の旅だ!!」と反論する。ZUKAは一人で帰るベく一旦バス停へ向かうが結局バスに乗ること無く、スピリッツを読んでいた私の元へ帰って来た。京都に帰るには次の4時のバスが最後なので仕方なく熊野川方面に向かう事は諦めバスが来る時間まで初日に行った「滝の湯」で何度も温泉に入って時間を潰す。お互い機嫌が悪くなり、不貞寝をして会話を交わす事も無かった。今日は朝から天気が悪く大雨が降っていたのだが、この頃から雨脚はさらに強くなっていた。温泉の休憩室で不貞寝をしていると温泉の人が国道168号線で土砂崩れが起きて通行止めになっている事を伝えられる。当然バスも運休となる。バス会社に連絡すると新宮まで臨時便を1本出すだけで京都方面へは今日中の復旧は望めないとの事。ZUKAは今日中に京都へ帰る事が不可能な状況になってしまう。今日は十津川にもう一泊することも考えたが私が見たがっていた熊野川を見るために新宮方面の臨時バスに乗る事にした。私の我侭が天に通じたのか期せずして二人で熊野川を見る事になった。思わぬ緊急事態となったのでいつまでも機嫌を悪くしていても仕方ないのでバス停まで行く帰り道に私を惹き付けた十津川の凄惨な歴史やそこから育まれた十津川郷士の誇りの高さなどについて熱っぽく語り、仲直りした。
 新宮までのバスの乗客は我々二人だけでバスは最後まで貸し切りだった。一番後の座席に陣取り嵐に荒れる熊野川を眺めつつのバス旅となった。十津川は和歌山と奈良の県境あたりで熊野川に合流する急峻な山と山の間を縫って流れた十津川も熊野川に合流する頃には幾分開けた所を流れ、大河となる。嵐の熊野川は岩をも動かしかねないほどの勢いで流れた。川を眺めながら行く旅が私は1番好きだ。川は表情を変えながら最後には海へと辿りつく、その道程に人間が問い掛けた時には何か大事な答えを与えてくれるような気がする。思えば2年前の熊野川も嵐の熊野川だった。ZUKAはさすがに疲れ果てたのかこれ以上無いほどの魅力的な表情を見せる熊野川に見入る事無く2時間に及んだバス旅のほとんどを寝て過ごした。
 新宮に着くと駅前のビジネスホテルに宿を取り、近くの中華料理屋で夕食を取り早めに眠った。

四日目・・・6月19日

 新宮 ー 京都

 今日も朝から激しい雨だった。近くには那智の滝や潮ノ岬などの景勝地があったが、雨がきついので朝早くの特急に乗りこみ京都に真っ直ぐに帰り、波瀾に満ちた新婚旅行は終了した。

感想
 十津川に行くのは2度目になるが、ここは関西では最も魅力的な山里だと思う。川で泳ぐのは気持ち良いのでもしも子供が大きくなっても京都に住んでいるようだったら、毎年夏になったら家族旅行で十津川に泳ぎに行っても良いかなとも思った。旅の企画は帰宅まで共に行動するように企画しようと思う。


「ワンダーフォーゲル同好会のみんなとの再会」

 先月の6月16日は私にとって特別な日となった。

 去年ヒットしたくるりのワンダーフォーゲルという曲の中に次のフレーズがある。

 ♪ハローもグッバイもサンキューも言わなくなって
  こんなにもすれ違ってそれぞれ歩いてゆく

 このワンダーフォーゲルというタイトル、このフレーズ、大学の先輩であるくるり、この曲ほど私の大学生活にリンクしてくる曲は無いだろう。

 私は大学でワンダーフォーゲル同好会に所属し、山登りをしていたが、一昨年に些細なすれ違いが積み重なって退会した。そしていつも一緒にいた親友Y川や、共に山登りの企画を成功させたチーフリーダー(以下チーリーさん、Y川この文章読んでくれたらBBSに感想とハンドルネーム書き込んでくれ)と会えなくなってしまう。大学で見かけても挨拶することも出来なくなってしまうほどに疎遠になった。ワンゲルを辞めてからライターの専門学校へ行ったり、夜のバイトをしたり、女の子の尻を追い掛け回すようなことなどとにかく忙しいワンゲルにいては出来ないことをして来たが、そんな自分に誇りを持つことも出来なかったために、ワンゲルにおける自分勝手と自分の非を十分に認められるようになってもチーリーさんに謝ることが出来ないでいた。大学を卒業し、京都を離れるまでには誤っておきたい気持ちがいつもあった。そんな折に私の結婚を知った後輩がお祝いの飲み会を企画してくれた。

 久々に集うワンゲル諸氏をもてなすために嫁のZUKAに料理を作ってもらうが、普段から母親に食事を作ってもらっているZUKAは段取り手際共に最悪で皆が来る7時になっても料理が一つも完成しない有様だった。料理を和雄と福井からわざわざ来てくれた私にとってのこの日のVIPであるY川に廊下で作らせるという慌しい状況で飲み会はスタートする。


(左)Y川 (右)gaucho …初登場!!
 会自体が大人しくなっているという現チーフリーダーの話も聞いていたが、酔って自分は右翼であると宣言し、今の社会の現状を切々と語りだす後輩などもいて昔以上にワンゲルらしい飲み会になった。彼の泥酔が飲み会を狂気の宴にする導火線を果たしてくれた。彼は早々と酔いつぶれてしまったが、腕立て伏せ競争を外の道路で始めるなど今時の若者らしくない熱い飲み会が繰り広げられた。冷静を装って飲み会レポなどを書いているが、宇多田ヒカルにほんの少しだけ似た後輩にからみ、一人で歌いだすなど私が一番迷惑な存在であった。
 ワンゲルお姫様(今回だけ持ち上げてあげる)福助が遅れて登場し、定番のアカペラ独唱大会が始まる頃には何の目的で開かれた飲み会なのかわからない状況になる。私が現役の頃飲み会での酔い方はかなり酷いものであった(今でもひどい?)。言葉にしづらい不満をいつも抱えていた私は(ただの欲求不満という説あり)、お酒が入るといつも暴れた。くだをまいた、新入生たちがいつも引いていた。私はそれをいつも気にしていたが一線を超えるといつも同じような状況だった、酒乱といっても良いだろう。飲み会だけではなく、当時抱えていたネガティブな感情を吐き出すことに会に悪影響を与えたことは特にチーリーさんに謝りたい、私の我慢が足りなかったと素直に認める。ワンゲルは山登りや旅が好きな人たちの集まりであることは言うまでも無いことだ。今になれば良くわかる。面白い後輩たちも多く入ってきて、潰れかけたワンゲルも当分安泰だろう。チーリーさん水に流してやってよ、なんか無責任だけど。現役チーリーのこうのすけ太郎は何度目かのワンゲル黄金期を作るべく尽力してくれ、安全には今よりも注意を払うべきだと思うよ。
 (右)チーリーさん
 Y川が買ってきてくれたケーキでケーキ入刀の儀式をし、ワンゲル夏の定番であるスイカを食べN川ハイツでの久々の飲み会はお開きとなる。

 チーリーさん、Y川、福助、加藤いたる(彼だけ本名)、その他現役の皆さん来てくれてありがとう。僕らは結婚式出来なかったから、この日を結婚式という事にしようと思う。単位は一杯残ってるし、就職も決まってないけど僕の中では大学生活はこれで終りという感じだ。京都での日々にもう悔いは無い。春にチーリーさん企画の九重山行実現すること本気で期待しているよ。


「南房総の旅」

 GWに嫁さん(ZUKA)が松戸の実家に遊びに来たので、1泊2日で旅に出ることになった。 ZUKAは妊娠6ヶ月の身重だし、GW中に旅に出るなど私の趣味ではないのだが、せっかく千葉 まできてくれたので旅に出た。当初は南会津の秘湯「木賊温泉」に連れて行きたかったのだが、あんな山奥でも予約が一杯だったので秘湯の魅力が半減してしまうだろうと考え、私は何度も行ったことがある千葉の海を見に行く事にした。

 1日目

 南房総は花の栽培で有名である。私はG.W.には花が既に摘み取られていることを知っていた。今回の旅に目的は無い。あるとすれば海の幸を食べることであり、海辺でダラダラすることだ。結婚前に嫁さんと何処かに行ければ良しと考えていた。 白浜町までは南房総リゾート切符なるものを利用した。この切符は区間内ならば、3日間乗り降り自由で、往復に特急も使える優れものだ。おまけに一部のバスも利用できる。
 嫁さんを早起きさせて作らせた弁当を人気の無い海辺で、しかも浜ではなく岩場で食べることが今日の目的だ。館山で特急「びゅーさざなみ」を下車し、白浜町方面へ海岸沿いに走るバスに乗り換える。ほとんどの観光客は「南房パラダイス」なるテーマパークで下車するが、私はこの手のテーマパークに興味が無いので、立ち寄ることなくその先に進む。この辺りの海は普段ならサーファーがまばらにいる程度でとても静かなのだが、G.W.はさすがに人がたくさんいて機嫌が悪くなった。房総の海は80年代的な、薬師丸ひろ子的な酸っぱい感じが魅力なのだが、いい感じの場所は釣り人や家族連れに占領されていて賑わっており寂れた魅力からは程遠い状況だった。結局バスを途中下車することなく、民宿のある白浜町まで着いてしまった。納得が行かないので千倉方面に向けてさらにバスに乗ることにした。宿がある白浜にはまた引き返さなければならないが、南房総リゾート切符は乗り放題なのでその点助かった。
 望むような場所が無いと判断した私は、嫁さんに場所を選ばせて、その場所に文句を付ける事にした。嫁さんは適当にバスを降りて、浜に出たが家族連れの嵐だったのでまたバスに戻り元来た道を引き返すことになった。なんとも段取りの悪い旅である。漸く白浜の中心地と千倉の間辺りのポイントに弁当を食べるポイントを見つける。誰もいないという訳ではないが、一組の家族が磯遊びをしていただけで落ち着いた感じが良かった。小さい女の子がパンツ丸出しという光景を目の当たりにすることが出来たのも微笑ましかった。
 私が望んだ房総の海では無かったので、すっかり機嫌が悪くなり、「から揚げやポテトサラダは料理と言わん!」などと折角作った弁当にけちをつけたり、死んだカニをZUKAの頭の上に乗せて泣かせたりして憂さを晴らした。「カニが可愛そう」とぬかすと私は「死んだ者に対して詰まらぬ感情を払うな!」などと哲学的なフリをした意味不明な言葉を連発したりしていた。ご機嫌ならば5月の海でも泳ぎかねないほど泳ぐのは好きなのだが、シートで不貞寝をしているうちに本気で寝てしまい2時間近く寝てしまった。
  宿は前日に何件も電話して唯一空いていた民宿「マキノ」を予約したが、最悪としか言いようの無い、旅人の気持ちを推し量ることの出来ないリアリズム系の宿だった。部屋はかび臭くボロボロで隣の声が筒抜けだった。おまけに隣の部屋もカップルが宿泊しており、女の子のテンションの高い可愛らしい声が聞こえてきて、さらに機嫌が悪くなってしまった。しかしお風呂帰りに隣の二人が部屋から出てきたところ目撃すると女の子はブーチャンで男はヌボーっとした垢抜けない青年だったので一安心した。
料理は海の側の民宿とは思えない最悪なものだった。お造りの代わりにアジの叩き、天ぷらでは無く、アジのフライだった。おまけに酢の物はカピカピで料理自慢を売り物にしている宿とは思えない貧相な食事でがっかりした。 抗議の意味も込めてたくさん残した。確かに7500円の安い民宿である。東京から近い千葉である。それでもこんな酷い料理にお目にかかったことはい。全国を旅した経験から言えば、海辺の民宿7000円以上出して満足しなかった事は無い。 機嫌を悪くしたので夜海辺を散歩することも無く部屋でさっさと寝ることにした 。 ZUKAは隣のカップルがいつHを始めるかそればかりを楽しみにしており壁に耳を当てて隣の部屋の物音に聞き入っていた。12時過ぎに喘ぎ声が聞こえたとか。夜中の淫らな行為を禁じるという張り紙があったのだが・・・

2日目

 今日の目的は海辺でハマグリを焼くこと。私は漫画家のつげ義春の大ファンである。彼の作品「やなぎや主人」に東京での生活に生んだ主人公が千葉の海に追われるようにやって来ると言うものがある。浜辺で焚き火で焼いたハマグリを食べながらウイスキーを煽り、猫とじゃれあうと言うシーンがある。私はいつか同じようなことをしてみたいと思っていた。海辺で寝ることはあってもハマグリを焼くことは無かった。嫁さんを連れてきてしまっては意味が無いのだが、いつかそんな孤独と寂しさを感じたい時が来ても衝動的に家を出てしまわないように子供が生まれる前に経験しておくことにした。ハマグリは白浜のおみやげ物屋で手に入れた。サザエ2つと合わせ3000円もするので躊躇したがまたとない機会なので買うことにした。

 適当に降りた天津小湊駅近くの岩場の海岸は高い絶壁の下にテーブル上の平らな岩場が続く絶景ポイントである。適当に降りたのだがZUKAには旅人は匂いで味わい深い場所が分かるのだなどといい加減な事を言ったりした。早速はまぐりを焼く。漫画では焚き火で焼くのだが面倒なので(gauchoは焚き火名人です)、登山用携帯コンロでさっさと焼くことにする。この辺りもうつげ義春的世界からは大きく逸脱している。十分に焼けていないことは承知だったがガスが残り少なかったのでさっさと食べる。結局3つハマグリを残したところでガスが無くなる。
ハマグリを食べ終わり昨日と同様に空を見ながらだらだらしていたら、帰り際にえらい目に遭う。潮が満ちてしまっており、来た道がほとんど海水に浸されてしまっている。釣り人達は長靴持参で来ているので、海水の中をジャブジャブ進むが私達は普通の靴である。困り果てたが幸いにして、道に沿ってテトラポットが並んでおりそれを伝って帰ることにする。私は何ともないのだが、ZUKAは妊婦である。海に落ちやしないかとひどく心配した。妊娠7ヶ月でこんなハードなことをさせてしまった。山男は海のことは良く知らない。
ゆっくりだが慎重にテトラポット道を進む。もう少しで終わりというところで、次のテトラポットまで乗り移れない地点を見つける。結局靴を脱いで裸足になり海水に浸された道を歩いて帰った。
 今日もだらだらしているうちに、夕方になったので天津小湊の駅からさくっと家まで帰り、家の近所の炭火焼が売り物の居酒屋で勝手に残ったハマグリを焼いて食べ打ち上げとし1泊2日の小旅行の最後とした。

 感想 誰かと海に行くなら目的があった方が良いと思う。夏なら海水浴、私はやらないがサーフィン、スキューバーダイビングなど。海を見に行くという行為は相変わらず一人のほうがしっくりくる。嫁さんに私が見慣れた海を見せることに意義があると思い出発したが、二人でぼんやりすると相手が退屈しているのではと考えてしまい、こちらまで退屈してしまった。房総の海は一人で見たほうが味わい深いと思う。しかも何もやる気しなくなって学校さぼってふらっと行くときが一番良い表情を見せるものである。


 「江戸川散歩・・・センチメンタル過剰な旅」  2000年11月24日

  中学生の頃から一人旅に言いようの無い魅力を感じ日本中いたるところ旅してきた。四万十川、屋久島、大雪山系など誰の目にも美しいと言える場所も数多く歩いてきたが郷里の江戸川にはそういった美しさとは別物の親しみを見出している。自分自身の思い出と深く結びついているためであろう。一人になりたい時、心が殺伐としている時、考え事をしたい時、私は幾度となく江戸川の土手を歩いたものである。私が自我と言うものに目覚め大人になっていく過程でいつも江戸川はすぐそばに居てくれた。松戸を離れ、京都で大学生活を送るにようになってからも郷里を思うときは江戸川の流れと空が頭に浮かんだ。そんな私にとって大事な場所である江戸川を旅の記録コーナーの1回目に紹介しようと思う。
幾度と無く見た夕日も彼女と見るとまた別格!?
 松戸に帰省するときは必ず江戸川に立ち寄ることにしている。今回は幕張で公演があった「underworld」とその翌日にあった渋公の「The Boom」の公演のついでに京都で出会った彼女(可愛くないのが難点)に郷里で唯一自慢できる江戸川を見せてあげたいと思い立っての事であった。歩いた箇所は松戸と流山の境界の辺りから松戸生コンがあるところまでである(ローカルもここに極れりという感じですね・・)。他にも良いところはたくさんあるだろうが我家から近く学生時代に歩いた場所であると言う事、高層マンションと江戸川の河川敷とその両側にわずかに広がる田畑とのコントラストがいかにも松戸らしいと考えたためである。実際このコントラストがすぐそこに日常があることを意識させてくれる調度良い距離感なのである。山登りなどに行くと日常とは全くの別世界で日常の些細な悩みなど忘れてしまうが江戸川の場合すぐそこに日常があるので日々がより鮮明に浮かび上がってくるそんな中で日頃の私を考えるにはもってこいとも言える。江戸川の魅力はこの辺りにあると思う。

 久々の江戸川は少し様相が変っていた。まず新しく大きな橋が建設中であった。確かに東京と松戸の交通の行き来は非常に多く、橋の建設は需要にあったものなのだが見なれた景観が破壊されるのは寂しいことである。さらには松戸生コン近くにある大きな水門の壁にペンキで大きな青空が描かれていたことである。市としては江戸川を歩く人を思っての行為だろうが本物の空の前にペンキで描かれた空がどれほどの意味を持つであろうか?行政のやることは概ねかくのごとくナンセンスである。ペンキは早くも色あせておりみっともなく、だらしの無い有様であった。変ってしまった江戸川を少し悲しくも感じたがススキの群翌ヘあの頃と同じように出迎えてくれた。ちょうど夕暮れの時間帯だったので東京の街に沈む夕日を眺めていたら中高校梠繧フいらいらしていた過汲フ自分と今の自分が交錯しセンチメンタルな気持ちになってしまった。

 江戸川の空は街中の空より少しだけ高いように感じる。松戸と言う街は東京のベットタウンとして位置している。とてもごみごみした街で人口密度が非常に高い。街中の空は今にも落ちてきそうな圧迫感で私に迫ってきたものである。私にとって江戸川はそうした圧迫感から開放される場所である。とりたてて美しいわけでもないが河川敷は広く土閧ノ登ると一気に視野が広がる。何も無いところなので彼女はつまらなく感じるかもしれないと思っていたが感激してくれたようで連れてきた甲斐があった。中村一義の「街の灯」にも出てくる妙な鳥の群れも寝床に帰る時間となり私達も江戸川を後にすることにした。

 今回は随分と私らしくない文章になってしまった。他のコーナーとバランスを取る為にもこの登山と旅の記録コーナーは青臭い感じで行こうかと思っています。


「幻の100名山・・・会津駒ヶ岳」

   

 会津駒ヶ岳は地図でその存在を知ってからと言うもの私を捕らえて離さない魅力を放っていた。尾瀬の北に位置する会津駒ヶ岳はおそらく本州では最も文明から遠い地域であろう。最寄駅の会津高原駅からでもバスで1時間はかかる。城下町会津若松まではさらに1時間以上を費やさなければならない。正に秘境というにふさわしいだろう。日本100名山の中では有名な尾瀬の近くにありながら訪れる人の少なかった会津駒ヶ岳は最後に残る100名山とも言われた。そのピークは下界からは360度いずれからも窺い知ることは出来ない。その先の向こう側にひっそりと存在している山なのである。

 今回は初めて登山する父と二人での山行。思えば父と二人でどこかへ行くのはこれが初めてであった。父には体力をつけておくように何度も行っておいたが、言い付けを守らず私が苦労することになる。

・アプローチ

       (特急「南会津」)   (バス)
  東武北千住駅 ― 会津高原駅 ― 駒ヶ岳登山口・・・民宿「こまどり」
    10:21発   13:08着
              14:45発   16:00着

※ バスは1日5,6本運転

 会津高原駅近くの定職屋さんのきのこラーメンはきのこ、山菜たっぷりでおいしかった。帰りにも利用しました。

 民宿「こまどり」は登山口に一番近い宿 一泊二食付きで7000円他は知らないけど清潔でお勧めです。私が行ったときには夕食に山椒魚の天ぷらが出ました、お腹に卵が入っていたりして結構グロテスクでしたがおいしかったです。

 もちろん温泉もあります。会津駒ヶ岳登登山者は登山口まで車で送ってもらえるようです。

    電話0241−75−2082

 会津駒ヶ岳のある檜枝岐村は新潟、群馬の県境に位置する山深い村である。温泉と年に3度開催される桧枝岐歌舞伎が有名である。偶然であるが幸運なことにこの日が檜枝岐歌舞伎開催の日であった。普段は観光客も少ないこの村であるがこの日ばかりは全国から大勢の人が詰め掛けていた。神社の境内に石段の客席が設けられている。あまりに魅力的な劇場であった。平家の落人の村らしく平家にまつわる悲劇が演目であった。簡素で素朴なものであったが厳しい村の暮らしの中で生き残った本物の伝統を見たような気がして、心が表れるような舞台だった。カメラを民宿に忘れてきて写真を撮り忘れたことは一生の不覚である。

 歌舞伎を見ている途中から雨が振り出してくる。事前の天気予報では天気はあまり良くなかったが父の都合で日程は随分前から決まっておりずらすことは出来なかった。夜遅くには雨は強くなり強風が吹き嵐のような天気になってしまう。

 翌日になっても雨は止んでいなかったのでもう1日だけ民宿に宿泊しそれでも天候が回復しないようだったら諦めて帰るということになる。近くに温泉とプールのある施設があると言うことなので今日はそこで時間を潰すことにした。もてあました体力の矛先を向けるべく誰もいないプールでしばらく泳ぐ(ちなみに私は水泳部でした)が、久々だったためか20分でばててしまう・・・。ここで一日過ごそうと思っていたのだがお昼前に天候が急に回復する。昼までにはサイト地についておくようにいつも計画するのだが、歩く時間が賞味4時間だったことと絶好の天気を逃したく無いという理由から民宿をキャンセルし1時から山に登ることにする。

 以下登山記録として書き進めます。


 1日目

   登山口 ― 駒ノ小屋 ― 会津駒ヶ岳 ― 中門岳 ― 駒ノ小屋

 登山口まではアスファルト舗装された道を行く。途中に登山道入り道路と合流するところが登山口。ここまでゆっくり歩いて30分程度なのだが驚いたことに早くも父がばててしまう・・・。顔面蒼白になり、息も切れ切れである。トレーニングをしていな事が露呈。仕方ないので父の装備のほとんどを私が持ち、父はほとんど空のザックで登ってもらうことにする。駒の小屋のほぼ半分の地点にあたる水場に4時までに着けなかったら引き返すという事にする。

 この辺りの道は樹林帯の直登。背後に伊南川に寄り添うように立ち並ぶ桧枝岐の集落が見下ろせるが全体的に単調。会津駒ヶ岳や燧岳の山容を窺い知ることは出来ない。途中雨上がりの桧枝岐をまたぐように虹がかかり10分以上も幻想的な景色が展開する。完全に天気は回復したと思ったが今にして思えば早急な判断であった・・・。

 父は相変わらず、少し歩いては立ち止まる超スローペースであったが体のほうは順応してきたらしく足取りも軽くなってきた。それでも遅いので息子に尻を蹴飛ばされつつ進む。

 完全回復されたと思われた天気であったが1時間もあるくと冷たい風が吹き、雨も落ちてきた。水場に着く頃には完全な雨模様になってしまう。水場に着いたのが4時を少し回っていたが予定通り駒の小屋を目指すことになる。水場はルートから少し外れたところにある、道標があるので気づかないことはない。この先はカッパを着用。

 小屋までの道のりは苦痛があるのみだった。9月上旬だと言うのに信じられないほどの寒さに見まわれ、雨は土砂降り、当然展望も一切無し・・・。5時を過ぎると辺りは暗くなり二人黙々と歩くことになる。稜線に出る頃には完全に暗くなってしまう、この辺り晴れていたならば燧岳や至仏岳が見渡せる絶景ポイントなのだが3メートル先も見えない状況。貴重な高層湿原を荒らさないように丸太道になっている。7月頃であれば高山植物で埋め尽くされるのだが9月には「ダケカンバ」くらいしか見つけることはできない。ようやく小屋に着くと6時を少し回っていた。会津駒ヶ岳山行のメインである中門岳までの稜線歩きは明日に持ち越すことにする。

 小屋では9月だと言うのにストーブがついていた。小屋のおじさん曰く9月でこんなに冷え込むことは珍しいそうだ。夕食に豚汁を作り、他の二人の登山者と談笑などして7時過ぎには眠る。

 ※ 駒の小屋は事前に予約が必要です。素泊まりのみ一泊3000円。水場は無いので持参する必要があります。寝具は用意してあるのでシュラフはいりません(私は念のためにいつも持っていっていますが・・・)。

  

2日目

  駒の小屋 ― 大津岐峠 ― キリンテ

 6:00分起床。雨は上がっていたが、深いガスに包まれており今日も展望は一切無し。昨日は暗かったので気づかなかったが、駒の小屋は駒の池のほとりに立てられている。緩やかな馬の背状の山頂は湿原になっており、シーズンには高山植物が咲き乱れる。小屋からピークまでは30分ほどで丸太道の通った湿原の中を行く。好天ならばこの辺りの展望は申し分無いはず。石段で舗装された最後に少しの直登を登りきれば2132メートルの会津駒ヶ岳のピーク。100名山を選んだ深田久弥はこのピークを見渡す限り山ばかりと表現していたが、今ではピーク周辺の樹林が伸びきってしまっていて展望はほとんど無い。この日もガスに包まれていたのでとりあえず昇りきったという感動だけを楽しむ。コーヒーを沸かし、記念撮影をする。あまりに寒いので長居しないことにした。


    

 天気の回復はとても望めないので会津駒ヶ岳山行のメインルートである、中門岳までの山頂湿原を行く往復路は泣く泣く割愛することにする。小屋から大津岐峠までの道は緩やかな稜線歩き。湿原を通る道は丸太で舗装されている。展望があるときならば右手に燧岳や至仏岳を間近に望みながら進むのだが相変わらず展望は一切無し。大津岐峠以後はひたすら下る。行きの直登よりは幾分緩やかでヘロヘロの父も予定通りに歩くことが出来た。植生がブナに変わり尾根を外れ、沢伝いにルートを通るようになるとキリンテまでは後わずかである。下山したのは12:30分頃であった。

 キリンテ近くの定食屋でラーメンを食べ、バスで檜枝岐村中心部まで出て燧ノ湯という温泉で登山の汗を流し家路に着く。

 感想

 はっきり言えば、良いとこ無しの山行でした。初めて登山する父に広大な展望を見せてあげたかったのであるが実際は3メートル先も見えないほどの濃いガスに包まれていた。久しぶりの山行だったので山を感じることが出来ただけでも私は満足であったが初心者には雄大な展望の会津の山々を見て欲しかった・・・。今回はあまりに消化不良だったので是非近いうちにまた攻めたい山である。拠点となる檜枝岐村はなんとも言えない良い雰囲気を持った村なのでもしも会津駒ヶ岳に登山しようとする方は、アプローチで村に1泊することをお勧めします。


出張先でのワンシーン

 私の本業は学生であるがバイトで全国各地を出張している。出張先にカメラを持って行き美しい風景を収めることがささやかな楽しみである。このコーナーは出張先での風景に一言添えて記録としたい。

 2000年9月

  「富山県魚津市」

 大好きな北アルプス立山連峰のふもとの街。ここには4日間滞在したのだが立山連峰の全貌が見えたのは最終日の一日だけだった。この町では蜃気楼が見えることがあるそうだ。北アの冷たい雪解け水が急激に海を冷やすことによって現象が起こるそうだ。港町に来ると居酒屋でお魚をつまみながら一杯やるのを楽しみにしているのだが今回は居酒屋のおねーちゃんをからかっていたら生ビール7,8杯飲まされてしまい、バイト代を散財してしまう。急激に冷え込んだ9月の下旬北アルプスでは初冠雪があったそうです。
 2000年10月

  「長崎県佐世保市」

 せっかくの長崎しかも佐世保だったが仕事場が中途半端な郊外に位置しており長崎らしさを楽しむことは出来なかった。仕事が押して飲みに行くこともままならず。長崎ちゃんぽんのチェーン店である「リンガーハット」で皿うどんばかりを食べていた。
 2000年10月

  「愛媛県宇和島市」

 今回は前日に突然宇和島に言ってくれということで驚いた。この仕事は基本的に直前に正式な仕事の依頼が来るので予定をいれづらい欠点がある。仕事もあわただしく落ち着いて居られなかったが天気の悪い中丘の上に立つ宇和島城に登ったりした。伊達正宗と新撰組のことなどを考えてみた。今回の現場のホールは女性従業員をきれいな子で統一することが売り物らしく、パチンコホールとは思えない華やいだ雰囲気でこちらも遣り甲斐があった(少しだけ・・・)。
 2000年11月

  「和歌山県和歌山市」

 今回の現場は特に書くことは無い。和歌山市郊外の何の変哲もないところでお金も無かったので大人しくしていました。京都から往復普通列車で行かされたことにはとても不満、仕事以前に疲れ果てた。
 2000年12月

  「愛媛県保内町」

 この佐田岬の付け根に位置する保内町という辺鄙な町に私はこれで2度訪れたことになる。ここはみかん(はっさく、いよかん類が多いようだ)の段々畑が山の斜面を利用して栽培されている。まだ青々としていたが町全体に柑橘類の甘酸っぱい香りが漂っている。山の緑とみかんの黄色、空の青さのコントラストが絶妙な配置で存在していた。学校帰りのみかん娘女学生が作業の手伝いをしていないかと思い。段々畑を登ってみるがばぁさんを一人発見するのみだった。ここの現場は作業が早く片付いたので宿をキャンセルしてさっさと京都に帰ろうと松山まで出て行くが得割空港券は変更が利かないと言われ、松山で一泊することになり、夜には居酒屋で田中裕子に似ているおばちゃんをからかってまたもやバイト代を散財してしまう・・・。
 2000年12月

  「三重県菰野町」

 関西では人気の高い鈴鹿山脈のふもとの街。何も無い町だったが、毎日きれいに鈴鹿の山を眺めることが出来た。仕事でトラブルが発生し深夜1時を回っても帰れないという辛い思い出ばかりが残っている。
2001年2月

「熊本県菊池市」
 菊池市には菊地温泉があり、我々の宿も温泉街に位置していた。フィリピンパブが何軒かあり、宿泊した
ビジネスホテルも1階がフィリピンパブでホテルの受付が下のお店のチーフを兼任していた。「下で遊んでいきません?」と誘われる始末だった。屋上に露天風呂があったので毎晩入った。夜遅くまでフィピンパブは盛り上がっておりフィリピーはナの歌うモーニング娘「ラブマシーン」は切ないものがあった。私は飲みに行く事もなく大人しくしていた。熊本空港までの道からは阿蘇山が見え、道路脇には井草畑が広がっていた。
2001年2月

「広島県広島市」

 同じホテルにプロレスラーの大二田厚が宿泊していた。そこそこの有名人でもビジネスホテルに宿泊するのは以外だった。仕事の合間に広島の繁華街である八丁堀を歩き、夜は広島風お好み焼きを食べた。京都から来たことをお店のオバちゃんに話したら、やきそばをおまけしてくれた。
 広島の中心地の現場で、原爆ドームの近くの広島厚生年金会館が宿だった.厚生年金会館ではボブディランの来日公演があるようでポスターが張られていた。もう少し日程が遅れていたら、公演を見れただけに残念である。休憩時間には広島の繁華街八丁堀に行ったが金が無いので漫画喫茶で結局時間を潰した。3年くらい前に新幹線の車内販売をしている時に広島には良く来ていたので懐かしい気持ちになった。
2001年3月

「福岡県中津市」

 大分の方はもうだいぶ温かいのだろうと思っていたが、海からの風が強く肌寒く感じられた。
 福沢諭吉生誕の地として知られる中津市は城下町だが、街には面影は無く退屈な街という印象だった。今回の現場では他の業者の方にお酒を奢ってもらえたのはラッキーだった。お金が浮いたので翌日も一人で飲みに行ってしまい、結局お金を浪費してしまった。このあたりには色気のある女性が多いような気がした。
 小倉と中津を結ぶ特急列車「ソニック」は緑と赤を基調にしていて外見は華やかで良いのだが、車内の座席まで黄色や緑、赤で配色されていて落ち着かない。
2001年8月

「愛媛県伊予市」

 お盆直前に伊予市には行った。今回の現場は2日目の入りが遅かったので近くの「五色が浜」という海水浴場まで泳ぎに行った。去年も仕事で行った島根で泳いだのが唯一だったが、今年も今回のみになった。私は海パンを用意していなかったのでトランクスで泳ぐことにしたが、チンチンがはみ出そうで気になって仕方なかったトランクスでは女の子に声をかけることも出来なく、大勢の人の中で一人寂しい思いをした。最終日には同僚と飲みに行き、かなり飲んでしまう、そのまま会社から与えられた切符を払い戻し、青春18切符を買い「ムーンライト松山」で京都まで帰り、ホテル代と切符代を浮かせた。

2001年9月

「熊本県山鹿市」








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