登山と旅の記録
| 「中央アルプス 一人縦走の山旅・・・木曽駒ヶ岳―空木岳」 嫁の出産が間近で、就職も決まっていないというのにお盆休みを利用して山登りに行った。私はもう24歳になろうという大人なので旅という行為には日常をリフレッシュする作用しかないということを知っている。高校時代から節目節目には旅立っていた。人恋しくなったり、言葉にしづらい何かを求めたりしては、幾度と無く旅立ったが、その度に帰ったらもう少し頑張ってみようというお決まりの結論に至った。「山から帰ったら子供も産まれるだろうから、今回だけ一人で行かせて」と反対気味の嫁を押し切って旅に出た。日常で頑張るという旅から得るお決まりの結論にもう一度すがってみようと思ったためである。 中央アルプスにしたことには特別な理由は無い。あるとすれば比較的麓から近く、無料の非難小屋があるので予算を押さえることが出来ると考えたためだ。当初は友人と北アルプス後立山連邦の鹿島槍が岳、五竜岳を縦走する予定だったが、友人との日程が合わなくなり、一人で行くにはしんどそうだから比較的楽そうな中央アルプスに決めた。この甘い認識が完全に裏目に出る結果となった・・・。 アプローチ 8月13日 京都 − 名古屋 − 多治見 − 木曽福島 木曽福島までの移動は24歳になろうというのに「青春18切符」を利用した。さすがに最近はこの切符の購入が恥ずかしい年になってきた。前日にバイトで愛媛県伊予市に行っており、同じく18切符を利用して夜行で京都に帰り、そのまま各駅停車で木曽福島まで行くというハードスケジュールとなった。 今日中に木曽福島まで到着する予定だったが、出発が遅くタッチの差で木曽福島まで行く各駅停車には間に合わなかったので、多治見―木曽福島間だけ急行「ちくま」を利用することになった。多治見市というなんの変哲も無い地方都市で三時間半も待ち時間が出来たのでキヨスクのオバちゃんに教えてもらった近くの健康センター(天の川温泉)のようなところへお風呂を入りに行った。そこで閉館まで2時間くらい時間を潰す。駅前のロータリーのようなところには人が結構いたので、「ナンパ」という安易な発想が浮かんだが、1時間後には電車に乗ることを考えてやめることにした。 急行「ちくま」に乗り込むと木曽福島までは一駅である。早朝のバスで登山口へという予定だったが思わぬ失態をやらかす。多治見―木曽福島間は2時間程度なのだが、木曽福島到着直前になって寝入ってしまい、木曽福島を発車してすぐに目が覚めた。つまり寝過ごしてしまったのだ。仕方ないので次の塩尻まで行き、翌朝木曽福島方面行きの始発を待つことにした。待合室で三時間くらい寝袋を使って熟睡することが出来た。寝過ごしたことにより朝一番のバスに乗り遅れ予定が大幅に狂い、初日の行動開始時間が遅れたが、山を登る前から疲れ切っていたので三時間の熟睡は逆に有難かったとも言える。 1日目 8月14日 木曽福島 − 大原公民館前 − 木曽駒高原スキー場 − 四合目 − 七合目非難小屋跡 今日は予定では木曽駒頂上付近のサイト地まで行きたいと思っていたが、前日の寝過ごし事件により七合目まで登れれば良いという楽な方へと考えが流れていた。木曽福島からは御岳方面と木曽駒方面とバスが出ているが、大勢いた登山客のほとんどが御岳へ向かう登山客で木曽駒方面に向かう人は私だけであった。登山口の最寄停留所である大原公民館前で下車したのも私だけである。お盆休みの時期という最も混む時期なのに予想外だ。木曽福島方面からの登る「福島Bコース」はあまり利用されていないのか。やはり皆ロープーウェイを利用するのだろうか。公民館付近の公衆トイレの水道で水を汲みスタートする。 公民館前から高原スキー場までの道のりは別荘街を行くアスファルト道。日差しもかんかん照りで最初からひどく疲れた。スキー場までは2時間近くもかかり、ビッショリ汗をかかされた。このアスファルト歩きは予想以上にきつくて、トレーニング無しの7キロも体重が増えた太い体で縦走は無理なのではないかと懸念された。自分が2,3年前の体力では無いことを痛感させられる。 高原スキー場からは、アスファルト舗装されていない林道に変る。登山口には「熊出没注意」の立て看板があった。幸ノ川の渡渉地点まで林道は続く。渡渉は大岩を飛び移るが、多少の増量では心配は無い。渡渉が終わると本格的な登山道が始まる。道は良く整備されており迷う心配も無い。ここ最近午後に夕立が連続していたらしいが、登山道はぬかるんでいるところも無かった。四合目(道標アリ)までは地図に記載されたルートタイムよりも早く思いの他さくっと到着することが出来た。四合目を少し登ると力水と名付けられた水場がある。ここでこの山行中初めて他の登山客に出会う。しばし談笑する、私の目標である空木岳よりも先の越百山まで縦走するそうである。しかも私は下山まで5日の予定であるが、私より長いコースを3日で行くそうだ。凄いおじさんもいるものである。 四合目以降も引き続き樹林帯歩きが続く。この辺りの単調で同じような景色の樹林帯歩きは体調の良い時ならば、非常に心地よい、良質なミニマルテクノを聞くような気持ちになれて、山歩きの一つの醍醐味なのだが、体調最悪で体力の低下した私には心地よい繰り返しとはならずうんざりするだけの苦行となった。先日バイト先で「oval」のCDをかけながら仕事をしていたら、同僚が発狂したが、今回の樹林帯歩きは同じような感じだった。 もう山男の体では無いことを実感し、帰ったらトレーニングしようなどと考えているとようやく七合目非難小屋跡に到着する。七合目非難小屋は平成11年の焼失したらしく、今は鉄筋の骨組みだけが惨めに残っているだけだ。非難小屋が立っていたところなのでテントを張るスペースもあるだろうと考えていたが、私の二人用テントがかろうじて張れるくらいのスペースしかなかった。七合目に着いた時点で2時を少し過ぎたところだったので頂上まで行こうかとも考えたが、体の方が悲鳴を上げていたので諦めてわずかなスペースにテントを張ってサイトすることにした。※中央アルプス山域は、わずかな指定地を除いてキャンプ禁止です。今回は止むを得ないとして勘弁して下さい・・・ テントに入って汗のあまりの臭さに驚いた。ものすごい量の汗をかいたが、今回の汗の匂いはいつもと違っていた。これはデブの匂いなのだと実感した。帰ったら痩せようとつくづく思った。昔サークル時代には気持ち程度のトレーニングをしてから山行に出発していたが、今にして思えばあのトレーニングは臭い汗を搾り出すことに意義があったのかもしれない。今日の夕食は豚汁でした。 ※ 七合目付近には水場があるようですが、道標などは無く自力で探す必要があります。 二日目 8月15日 七合目非難小屋 − 八合目山姥 − 玉ノ窪小屋 − 頂上山荘サイト地
最後の登りをダラダラ行くと2958メートルの木曽駒ヶ岳の頂上に着く。360度見渡せる絶好の展望地であるが、この日の展望は早くもガスが上昇しており今一つ遠望が利かなかった。穂高,槍、乗鞍岳はかすかに見通せたが、南アルプス方面は雲に覆われておりその姿を見ることは出来なかった。今までの孤独な登りが嘘のように頂上にはたくさんの人がいた。中には登山靴では無く、スニーカーやジーンズ姿の軽装の人もいた。ほとんどの人がロープーウェイを利用して来ている。驚いたことには1歳くらいの赤ん坊までも父親に背負われて来ていた。普段ならば山に似つかわしくない人を目の当たりにすると機嫌が悪くなるのだが、もうすぐ産まれてくる子供を思うとロープーウェイ登山も悪くないと思った。木曽駒ヶ岳なら子供が小さいうちでも十分に登ることが出来るだろう(ロープーウェイの駅からは2時間程度の登り)。私は麓から7,8時間かけて登って来たわけだから感動もひとしおかとも思えたが、ピークでコーヒーを飲んだり梨を食べたりしている人が羨ましくて、そのことばかり考えて然程感動しなかった。コーヒーくらい持ってくるべきであった。今日はここから20分ほど下った頂上山荘のサイト地にサイトする予定なのでこの日の行程はほぼ終了である。
三日目 8月16日 頂上山荘サイト地 − 宝剣岳 − 濁沢大峰 − 檜尾岳 − 檜尾非難小屋 4時に起床。朝食は夕食のポトフの残り。朝食を済ますと早急にテントを畳み、出発の準備を終えてから再び昨日登った木曽駒ヶ岳に登り御来光を見に行く。頂上付近には山小屋が多く、木曽駒ヶ岳には御来光目当ての登山客が早くも大勢いて、御来光を写真に収めるべく三脚が立ち並んでいた。カメラ小僧ならぬカメラ親父が群れを成していた。木曽駒ヶ岳の山頂には山小屋が経営している売店があるのだが、5時だというのにもう営業していて、ホットコーヒーの販売もあり買うか迷ったが止めておいた。
※ 水場は10分くらい下った所にありました。ちょろちょろと僅かに流れているのを貯めて使いました。 四日目 8月17日 檜尾岳非難小屋 − 熊沢岳 − 東川岳 − 木曽殿越⇔空木岳 − 見晴場 − 仙人の泉 − 六合目北沢 − ウサギ平 − 四合目 −伊奈川本谷非難小屋
今日は起床時間も遅く、夕食も残らなかったので朝食は無し。非難小屋で一晩を共にした方達と下山後の温泉の話などをして出発する。今日も晴れ上がり展望も申し分無かった。檜尾岳ピークからは、南アルプス越しに富士山が見える絶景が広がっていて、今山行中でもベストと思える展望だった。 熊沢岳までのルートも今まで歩いたルートのように楽そうに見えて結構アップダウンがある。熊沢岳ピークの辺りはちょうど雲の通り抜けになっているようでかなり風がきつくTシャツだけでは肌寒く感じられた。ピークの岩場の隙間に空き缶などが大量に捨てられており不可解な気持ちにさせられた。これだけの絶景を前にしてゴミを捨てると言う行為を理解する事は難しい。
人から酒を勧められると断れない性格だから仕方ない。おじさんは相当飲んだにも関わらずさくさくと南駒が岳方面へ向けて出発した。私はもう一度木曽殿越に向けて登ってきた急登を下る。お酒が入っているので、慎重に慎重に降りた。
日頃の行いや嫁への言動を神様に懺悔し始める頃にようやく林道との合流地点であるうさぎ平に出る。日もすっかり暮れて暗くなり始める頃であった。ここから伊奈川本谷非難小屋までは林道歩きなので一安心。これ以上歩けなくなってもテントを張ることが出来る場所は幾らでもある。残ったお菓子を全部食べて気をもう一度引き締める。伊奈川本谷非難小屋には女子大のパーティがいるはずだと自分に言い聞かせ、もう一頑張りする。40分程度歩くとようやく非難小屋に到着するが、女子大生などいるわけも無い、ボロボロに荒廃した、妖怪か首吊り死体でもありそうな掘建て小屋が姿を現した。
五日目 8月17日 伊奈川本谷非難小屋 − 中八丁峠 − 二合目 − 倉本 今日は9時くらいまで寝ていた。昨日頑張って歩いたおかげで今日の行程はわずかである。中八丁峠までわずかな登りがあるが後はひたすら樹林帯の下りである。昨日の恐ろしい下りの印象が強過ぎてアプローチで寝過ごした事や木曽駒のピークの人だかりは記憶の彼方に追いやられていた。 今日は順調に下れるだろうと思ったが、ルートと林道が合流する地点に思わぬ立て看板を発見する。
五日に及んだ中央アルプス縦走の旅も終わりに近づいている。京都に帰ったら私は父親になる。今までの自分とは決定的に違う。父親としての十分な自覚なんて無い。山旅も終わる、夏も終わる。父親になる。5日間の行程も今となっては幻のようだ。何故旅に出たかという訳ももう忘れた。結局何しに来たのだろう。 JR倉本駅に到着するが近くには喫茶店はおろかジュースの自販機すら無くて無事に下山したことを祝うことも出来なかった。ZUKA(嫁)に無事下山した事を電話で報告して山行は終了となる。 感想 中央アルプスというと軟弱なイメージを持っていてなめていたのが大間違いだった。山脈自体のスケール感に欠けるが高度感を味わえる山だと思う。間近に見えた御岳を見るには一番良い山だと思う。ロープーウェイがあるので家族で最初に登山に行くならば木曽駒にしようと思う。 下りのコース選択は大失敗だった。無闇にコースを変更するのは止めた方が良いと思う。好天が続いて良い思い出が出来ました。 |
| 「新婚旅行第1弾・・・関西随一の秘湯上湯温泉」 私は結婚したいと思ったことは無かったがもしも結婚したならば、新婚旅行はポルトガルかアイルランドにしたいと決めていた。アイルランドは長らく私を惹きつけてきた青春そのものとも言える国であり、ポルトガルはその熟成した国家のあり方やそこに暮らす人々が魅力的に思えるからだった。一生の伴侶と決めた人と似つかわしい配置で立ち並ぶリスボンの街並みを歩き、ポルトガルが歩んだ海洋への旅立ちによる栄華と衰退の一途を辿った歴史の果てに見えるものを感じたいと考えていたためだ。
1日目・・・6月17日 京都 ー 大和八木 − 谷背のつり橋 ー 湯泉地温泉近くのキャンプ場 (近鉄特急) (奈良交通特急バス) 前日の16日に我家で飲み会があったので明け方近くまで飲んだ後に出発することになる。大和八木までは滅多に使うことが無い近鉄特急を利用して少しでも豪華な旅にすることにした。八木から十津川村まではバスで3時間近くもかかる。奈良県は大阪,京都から近い位置にあるが十津川は交通の便が悪く、我家からは5時間くらいかかる。ハワイに行くより不便かもしれない。十津川村は日本で一番面積の大きい村として知られ、古くは明治維新の頃に活躍した十津川郷士の郷としても知られている。関西で最も標高の高い山脈大峰山脈を有する村であるので当然山奥で、道路も悪い。寝不足に二日酔い気味という車酔いする条件を全て揃えていたので三時間近くのバス旅ですっかり酔ってしまう、もう少しで吐きそうになるくらいに車酔いした。
味わい深い渓谷沿いの道は街では絶対に見ることの出来ない光景を見せてくれた。道は川からはだいぶ高い所を通っていたが、滅多に見ることの出来ない光景を目の当たりにする。鶴のような白い野鳥が川で岩魚を捕まえる所を目撃したのである。最初に大きな岩魚を一発で仕留めるとくちばしの中でもがく岩魚は一飲みに飲み込まれる。少し川の水を飲むと更にもう一匹の岩魚を捕まえる。じっくりと獲物を見極め、一発で岩魚を捕まえた。無駄な動きは一つも無い芸術的とも言える捕獲だった。山歩きを愛し、自然に触れることの多い私も渓流魚を鳥が捕まえる光景には初めて出くわした。食物連鎖そのものの光景に我々はしばし呆気に取られる。
お湯の方はとても熱く、湯の花が浮かぶ本物の温泉という感じです。何でもすぐ近くの源泉は60度近くあるそうで、温泉と一緒に浴槽に入れられている冷たい水と合わせてようやく入れる程の熱いお湯だ。小屋の温泉からは上湯川を眺めることが出来て野趣味たっぷりでこれぞ野天風呂と言える。
三日目・・・6月18日 上湯温泉 ー 十津川村役場 ー 新宮
新宮までのバスの乗客は我々二人だけでバスは最後まで貸し切りだった。一番後の座席に陣取り嵐に荒れる熊野川を眺めつつのバス旅となった。十津川は和歌山と奈良の県境あたりで熊野川に合流する急峻な山と山の間を縫って流れた十津川も熊野川に合流する頃には幾分開けた所を流れ、大河となる。嵐の熊野川は岩をも動かしかねないほどの勢いで流れた。川を眺めながら行く旅が私は1番好きだ。川は表情を変えながら最後には海へと辿りつく、その道程に人間が問い掛けた時には何か大事な答えを与えてくれるような気がする。思えば2年前の熊野川も嵐の熊野川だった。ZUKAはさすがに疲れ果てたのかこれ以上無いほどの魅力的な表情を見せる熊野川に見入る事無く2時間に及んだバス旅のほとんどを寝て過ごした。 新宮に着くと駅前のビジネスホテルに宿を取り、近くの中華料理屋で夕食を取り早めに眠った。 四日目・・・6月19日 新宮 ー 京都 今日も朝から激しい雨だった。近くには那智の滝や潮ノ岬などの景勝地があったが、雨がきついので朝早くの特急に乗りこみ京都に真っ直ぐに帰り、波瀾に満ちた新婚旅行は終了した。 感想 十津川に行くのは2度目になるが、ここは関西では最も魅力的な山里だと思う。川で泳ぐのは気持ち良いのでもしも子供が大きくなっても京都に住んでいるようだったら、毎年夏になったら家族旅行で十津川に泳ぎに行っても良いかなとも思った。旅の企画は帰宅まで共に行動するように企画しようと思う。 |
「ワンダーフォーゲル同好会のみんなとの再会」 |
久々に集うワンゲル諸氏をもてなすために嫁のZUKAに料理を作ってもらうが、普段から母親に食事を作ってもらっているZUKAは段取り手際共に最悪で皆が来る7時になっても料理が一つも完成しない有様だった。料理を和雄と福井からわざわざ来てくれた私にとってのこの日のVIPであるY川に廊下で作らせるという慌しい状況で飲み会はスタートする。 |
(左)Y川 (右)gaucho …初登場!! |
会自体が大人しくなっているという現チーフリーダーの話も聞いていたが、酔って自分は右翼であると宣言し、今の社会の現状を切々と語りだす後輩などもいて昔以上にワンゲルらしい飲み会になった。彼の泥酔が飲み会を狂気の宴にする導火線を果たしてくれた。彼は早々と酔いつぶれてしまったが、腕立て伏せ競争を外の道路で始めるなど今時の若者らしくない熱い飲み会が繰り広げられた。冷静を装って飲み会レポなどを書いているが、宇多田ヒカルにほんの少しだけ似た後輩にからみ、一人で歌いだすなど私が一番迷惑な存在であった。 |
| ワンゲルお姫様(今回だけ持ち上げてあげる)福助が遅れて登場し、定番のアカペラ独唱大会が始まる頃には何の目的で開かれた飲み会なのかわからない状況になる。私が現役の頃飲み会での酔い方はかなり酷いものであった(今でもひどい?)。言葉にしづらい不満をいつも抱えていた私は(ただの欲求不満という説あり)、お酒が入るといつも暴れた。くだをまいた、新入生たちがいつも引いていた。私はそれをいつも気にしていたが一線を超えるといつも同じような状況だった、酒乱といっても良いだろう。飲み会だけではなく、当時抱えていたネガティブな感情を吐き出すことに会に悪影響を与えたことは特にチーリーさんに謝りたい、私の我慢が足りなかったと素直に認める。ワンゲルは山登りや旅が好きな人たちの集まりであることは言うまでも無いことだ。今になれば良くわかる。面白い後輩たちも多く入ってきて、潰れかけたワンゲルも当分安泰だろう。チーリーさん水に流してやってよ、なんか無責任だけど。現役チーリーのこうのすけ太郎は何度目かのワンゲル黄金期を作るべく尽力してくれ、安全には今よりも注意を払うべきだと思うよ。 | (右)チーリーさん |
| Y川が買ってきてくれたケーキでケーキ入刀の儀式をし、ワンゲル夏の定番であるスイカを食べN川ハイツでの久々の飲み会はお開きとなる。 チーリーさん、Y川、福助、加藤いたる(彼だけ本名)、その他現役の皆さん来てくれてありがとう。僕らは結婚式出来なかったから、この日を結婚式という事にしようと思う。単位は一杯残ってるし、就職も決まってないけど僕の中では大学生活はこれで終りという感じだ。京都での日々にもう悔いは無い。春にチーリーさん企画の九重山行実現すること本気で期待しているよ。 |
| 「南房総の旅」 GWに嫁さん(ZUKA)が松戸の実家に遊びに来たので、1泊2日で旅に出ることになった。 ZUKAは妊娠6ヶ月の身重だし、GW中に旅に出るなど私の趣味ではないのだが、せっかく千葉 まできてくれたので旅に出た。当初は南会津の秘湯「木賊温泉」に連れて行きたかったのだが、あんな山奥でも予約が一杯だったので秘湯の魅力が半減してしまうだろうと考え、私は何度も行ったことがある千葉の海を見に行く事にした。 1日目 南房総は花の栽培で有名である。私はG.W.には花が既に摘み取られていることを知っていた。今回の旅に目的は無い。あるとすれば海の幸を食べることであり、海辺でダラダラすることだ。結婚前に嫁さんと何処かに行ければ良しと考えていた。 白浜町までは南房総リゾート切符なるものを利用した。この切符は区間内ならば、3日間乗り降り自由で、往復に特急も使える優れものだ。おまけに一部のバスも利用できる。 嫁さんを早起きさせて作らせた弁当を人気の無い海辺で、しかも浜ではなく岩場で食べることが今日の目的だ。館山で特急「びゅーさざなみ」を下車し、白浜町方面へ海岸沿いに走るバスに乗り換える。ほとんどの観光客は「南房パラダイス」なるテーマパークで下車するが、私はこの手のテーマパークに興味が無いので、立ち寄ることなくその先に進む。この辺りの海は普段ならサーファーがまばらにいる程度でとても静かなのだが、G.W.はさすがに人がたくさんいて機嫌が悪くなった。房総の海は80年代的な、薬師丸ひろ子的な酸っぱい感じが魅力なのだが、いい感じの場所は釣り人や家族連れに占領されていて賑わっており寂れた魅力からは程遠い状況だった。結局バスを途中下車することなく、民宿のある白浜町まで着いてしまった。納得が行かないので千倉方面に向けてさらにバスに乗ることにした。宿がある白浜にはまた引き返さなければならないが、南房総リゾート切符は乗り放題なのでその点助かった。 |
| 望むような場所が無いと判断した私は、嫁さんに場所を選ばせて、その場所に文句を付ける事にした。嫁さんは適当にバスを降りて、浜に出たが家族連れの嵐だったのでまたバスに戻り元来た道を引き返すことになった。なんとも段取りの悪い旅である。漸く白浜の中心地と千倉の間辺りのポイントに弁当を食べるポイントを見つける。誰もいないという訳ではないが、一組の家族が磯遊びをしていただけで落ち着いた感じが良かった。小さい女の子がパンツ丸出しという光景を目の当たりにすることが出来たのも微笑ましかった。 |
| 私が望んだ房総の海では無かったので、すっかり機嫌が悪くなり、「から揚げやポテトサラダは料理と言わん!」などと折角作った弁当にけちをつけたり、死んだカニをZUKAの頭の上に乗せて泣かせたりして憂さを晴らした。「カニが可愛そう」とぬかすと私は「死んだ者に対して詰まらぬ感情を払うな!」などと哲学的なフリをした意味不明な言葉を連発したりしていた。ご機嫌ならば5月の海でも泳ぎかねないほど泳ぐのは好きなのだが、シートで不貞寝をしているうちに本気で寝てしまい2時間近く寝てしまった。 |
| 宿は前日に何件も電話して唯一空いていた民宿「マキノ」を予約したが、最悪としか言いようの無い、旅人の気持ちを推し量ることの出来ないリアリズム系の宿だった。部屋はかび臭くボロボロで隣の声が筒抜けだった。おまけに隣の部屋もカップルが宿泊しており、女の子のテンションの高い可愛らしい声が聞こえてきて、さらに機嫌が悪くなってしまった。しかしお風呂帰りに隣の二人が部屋から出てきたところ目撃すると女の子はブーチャンで男はヌボーっとした垢抜けない青年だったので一安心した。 |
| 料理は海の側の民宿とは思えない最悪なものだった。お造りの代わりにアジの叩き、天ぷらでは無く、アジのフライだった。おまけに酢の物はカピカピで料理自慢を売り物にしている宿とは思えない貧相な食事でがっかりした。 抗議の意味も込めてたくさん残した。確かに7500円の安い民宿である。東京から近い千葉である。それでもこんな酷い料理にお目にかかったことはい。全国を旅した経験から言えば、海辺の民宿7000円以上出して満足しなかった事は無い。 機嫌を悪くしたので夜海辺を散歩することも無く部屋でさっさと寝ることにした 。 ZUKAは隣のカップルがいつHを始めるかそればかりを楽しみにしており壁に耳を当てて隣の部屋の物音に聞き入っていた。12時過ぎに喘ぎ声が聞こえたとか。夜中の淫らな行為を禁じるという張り紙があったのだが・・・ |
2日目 |
| 適当に降りた天津小湊駅近くの岩場の海岸は高い絶壁の下にテーブル上の平らな岩場が続く絶景ポイントである。適当に降りたのだがZUKAには旅人は匂いで味わい深い場所が分かるのだなどといい加減な事を言ったりした。早速はまぐりを焼く。漫画では焚き火で焼くのだが面倒なので(gauchoは焚き火名人です)、登山用携帯コンロでさっさと焼くことにする。この辺りもうつげ義春的世界からは大きく逸脱している。十分に焼けていないことは承知だったがガスが残り少なかったのでさっさと食べる。結局3つハマグリを残したところでガスが無くなる。 |
| ハマグリを食べ終わり昨日と同様に空を見ながらだらだらしていたら、帰り際にえらい目に遭う。潮が満ちてしまっており、来た道がほとんど海水に浸されてしまっている。釣り人達は長靴持参で来ているので、海水の中をジャブジャブ進むが私達は普通の靴である。困り果てたが幸いにして、道に沿ってテトラポットが並んでおりそれを伝って帰ることにする。私は何ともないのだが、ZUKAは妊婦である。海に落ちやしないかとひどく心配した。妊娠7ヶ月でこんなハードなことをさせてしまった。山男は海のことは良く知らない。 |
| ゆっくりだが慎重にテトラポット道を進む。もう少しで終わりというところで、次のテトラポットまで乗り移れない地点を見つける。結局靴を脱いで裸足になり海水に浸された道を歩いて帰った。 今日もだらだらしているうちに、夕方になったので天津小湊の駅からさくっと家まで帰り、家の近所の炭火焼が売り物の居酒屋で勝手に残ったハマグリを焼いて食べ打ち上げとし1泊2日の小旅行の最後とした。 感想 誰かと海に行くなら目的があった方が良いと思う。夏なら海水浴、私はやらないがサーフィン、スキューバーダイビングなど。海を見に行くという行為は相変わらず一人のほうがしっくりくる。嫁さんに私が見慣れた海を見せることに意義があると思い出発したが、二人でぼんやりすると相手が退屈しているのではと考えてしまい、こちらまで退屈してしまった。房総の海は一人で見たほうが味わい深いと思う。しかも何もやる気しなくなって学校さぼってふらっと行くときが一番良い表情を見せるものである。 |
| 中学生の頃から一人旅に言いようの無い魅力を感じ日本中いたるところ旅してきた。四万十川、屋久島、大雪山系など誰の目にも美しいと言える場所も数多く歩いてきたが郷里の江戸川にはそういった美しさとは別物の親しみを見出している。自分自身の思い出と深く結びついているためであろう。一人になりたい時、心が殺伐としている時、考え事をしたい時、私は幾度となく江戸川の土手を歩いたものである。私が自我と言うものに目覚め大人になっていく過程でいつも江戸川はすぐそばに居てくれた。松戸を離れ、京都で大学生活を送るにようになってからも郷里を思うときは江戸川の流れと空が頭に浮かんだ。そんな私にとって大事な場所である江戸川を旅の記録コーナーの1回目に紹介しようと思う。 | ![]() 幾度と無く見た夕日も彼女と見るとまた別格!? |
| 松戸に帰省するときは必ず江戸川に立ち寄ることにしている。今回は幕張で公演があった「underworld」とその翌日にあった渋公の「The
Boom」の公演のついでに京都で出会った彼女(可愛くないのが難点)に郷里で唯一自慢できる江戸川を見せてあげたいと思い立っての事であった。歩いた箇所は松戸と流山の境界の辺りから松戸生コンがあるところまでである(ローカルもここに極れりという感じですね・・)。他にも良いところはたくさんあるだろうが我家から近く学生時代に歩いた場所であると言う事、高層マンションと江戸川の河川敷とその両側にわずかに広がる田畑とのコントラストがいかにも松戸らしいと考えたためである。実際このコントラストがすぐそこに日常があることを意識させてくれる調度良い距離感なのである。山登りなどに行くと日常とは全くの別世界で日常の些細な悩みなど忘れてしまうが江戸川の場合すぐそこに日常があるので日々がより鮮明に浮かび上がってくるそんな中で日頃の私を考えるにはもってこいとも言える。江戸川の魅力はこの辺りにあると思う。 久々の江戸川は少し様相が変っていた。まず新しく大きな橋が建設中であった。確かに東京と松戸の交通の行き来は非常に多く、橋の建設は需要にあったものなのだが見なれた景観が破壊されるのは寂しいことである。さらには松戸生コン近くにある大きな水門の壁にペンキで大きな青空が描かれていたことである。市としては江戸川を歩く人を思っての行為だろうが本物の空の前にペンキで描かれた空がどれほどの意味を持つであろうか?行政のやることは概ねかくのごとくナンセンスである。ペンキは早くも色あせておりみっともなく、だらしの無い有様であった。変ってしまった江戸川を少し悲しくも感じたがススキの群翌ヘあの頃と同じように出迎えてくれた。ちょうど夕暮れの時間帯だったので東京の街に沈む夕日を眺めていたら中高校梠繧フいらいらしていた過汲フ自分と今の自分が交錯しセンチメンタルな気持ちになってしまった。 江戸川の空は街中の空より少しだけ高いように感じる。松戸と言う街は東京のベットタウンとして位置している。とてもごみごみした街で人口密度が非常に高い。街中の空は今にも落ちてきそうな圧迫感で私に迫ってきたものである。私にとって江戸川はそうした圧迫感から開放される場所である。とりたてて美しいわけでもないが河川敷は広く土閧ノ登ると一気に視野が広がる。何も無いところなので彼女はつまらなく感じるかもしれないと思っていたが感激してくれたようで連れてきた甲斐があった。中村一義の「街の灯」にも出てくる妙な鳥の群れも寝床に帰る時間となり私達も江戸川を後にすることにした。 今回は随分と私らしくない文章になってしまった。他のコーナーとバランスを取る為にもこの登山と旅の記録コーナーは青臭い感じで行こうかと思っています。 |
2日目 天気の回復はとても望めないので会津駒ヶ岳山行のメインルートである、中門岳までの山頂湿原を行く往復路は泣く泣く割愛することにする。小屋から大津岐峠までの道は緩やかな稜線歩き。湿原を通る道は丸太で舗装されている。展望があるときならば右手に燧岳や至仏岳を間近に望みながら進むのだが相変わらず展望は一切無し。大津岐峠以後はひたすら下る。行きの直登よりは幾分緩やかでヘロヘロの父も予定通りに歩くことが出来た。植生がブナに変わり尾根を外れ、沢伝いにルートを通るようになるとキリンテまでは後わずかである。下山したのは12:30分頃であった。 |
「愛媛県伊予市」 お盆直前に伊予市には行った。今回の現場は2日目の入りが遅かったので近くの「五色が浜」という海水浴場まで泳ぎに行った。去年も仕事で行った島根で泳いだのが唯一だったが、今年も今回のみになった。私は海パンを用意していなかったのでトランクスで泳ぐことにしたが、チンチンがはみ出そうで気になって仕方なかったトランクスでは女の子に声をかけることも出来なく、大勢の人の中で一人寂しい思いをした。最終日には同僚と飲みに行き、かなり飲んでしまう、そのまま会社から与えられた切符を払い戻し、青春18切符を買い「ムーンライト松山」で京都まで帰り、ホテル代と切符代を浮かせた。 2001年9月 「熊本県山鹿市」 |